星の在処とベルスーズ

FGOベディぐだ

 昨日、庭に出ていたせいか、どうも体が熱っぽい。幸い行動に支障をきたすほどではなく、頭が少しぼんやりとしているくらいだ。それなら気にするほどのことではないと、立香は何事もないかのように振る舞い旅行を続けることにした。
 朝は少しゆっくりと過ごして、バスに乗り込む。訪れた滝地は高さこそないものの横に長く続いており、視界いっぱいに滝水が流れ落ちている。季節によって夏は電飾、秋は紅葉、といったように違った顔を見せるらしく、冬の季節は落ちる水流がそのまま凍り付いてしまったかのようにいくつもの氷柱が連なる光景が見られた。しんと静まり返った銀世界の中、滝から流れ落ちた幾条もの水流が溜まり、光を照り返して青々と輝く光景は、この世の物とは思えない荘厳な空気を放っていた。
 滝壺を後にしてさくさくと白雪の上を進む中、うっかり足を滑らせそうになったところをすんでのところで支えられる。突然のことにばくばくと心臓を鳴らしながら、気遣う言葉に礼を返して立香は間の抜けた自身の失態を恥じた。それからは慎重に雪道を進んでいき、今度は転ぶことなく滝を出て再びバスへと乗り込む。
 先程見てきたものの感想を交わしながら、次の目的地について話す。観光拠点の一つにあたる場所らしく、多くの土産物屋や飲食店などが揃っており、他の観光地にも繋がる地点らしい。そこで昼食を摂ってから次の観光地へ向かうことにして、バスに揺られる。
「マスター?」
 すると、訝るようなベディヴィエールの声がして、立香の意識が戻ってくる。ぼうっとしている間に既にバスを降りていたらしい。
「あれ? どうしたの?」
「えっと、こちらで昼食を摂られるのですよね? 向かわれているのは別方面ですが」
 どうも熱に頭がやられてしまっているようだ。ぎくりと背筋を強張らせながら、立香はさも忘れていたかのように取り繕う。ひとまずのところはなんとか誤魔化せたようだが、しっかりしなければいらぬ心配をかけてしまう。反省し、気を張ってみたものの、以降の観光地を巡った記憶はひどく曖昧なものと化していた。うまく行動できていたかは分からないが、帰りの電車には乗れていたらしい。
「お疲れでしたら、私のことは気にせずどうぞ眠ってください」
 隣り合った席に座ると、気遣いの言葉と共にベディヴィエールが肩を貸してくれる。その様子からするに、恐らく不調は見抜かれていたのだろう。そのことを申し訳なく思いつつ、立香はゆるやかに薄れゆく意識に従って目を閉じた。
「ごめんね、少し疲れたみたい」
 そうして眠りに落ちた立香の目を覚ましたのは、目的地である終点に到着したという知らせであった。少しだけ眠るつもりであったが、結局終始寝続けてしまった。このままどこにも寄らずに帰ろうという提案に従い、まっすぐに自宅へと帰る。小旅行であったはずだが、まるで久々に自宅へ帰ってきた気分になってしまい、少しおかしくなった。それほどに旅行が充実していたということだと思いたいが、どうにもベディヴィエールにはいらぬ心配ばかりをかけてしまっていたように思う。あり合わせのもので夕食を軽く済ませ、旅の疲れもあるだろうということで今日は早々に眠ることにした。
 リビングで別れ、互いに自室へ入ると、立香は深く息を吐き出した。明日からのことを考えねばならないというのに、こんなところで体調を崩してしまうとは情けないと自身を呪う。ひとまず明日は食料品の購入も兼ねて買い物に出なければ。そろそろ新しい花を買ってもいいかもしれない。少し足を伸ばして都市部に出てみるのもいいだろう。あれこれと思案しながら真夜中になった頃、立香はそろりと自室を抜け出した。
 足音を忍ばせながらベランダに出て、一人夜空を見上げる。立香の心が不安に曇ろうが、星々の輝きは変わらずそこにあり、月は静かにこちらを見守っている。凍てつくような外気を静かに、ゆっくりと吸い込むと、その冷たさに肺の奥がちくりと痛んだ。都会の空は、やはり随分と遠くにあるように思える。シミュレーターで見た美しい流星を、その澄んだ星空を思い出して、少しの感傷が心の柔らかい部分を刺していく。
 その時、背後でがらりと窓が開く音がして、虚を衝かれた立香は反射的に振り返る。
「……どうされたのですか。こんな夜更けに、そんな場所で」
 薄闇の中に立っていたのはベディヴィエールであった。その長い髪は結われておらず、絹糸のようなそれは夜風に小さく揺られながら月明りを受けて艶めいている。彼が起きていたことに驚きながら、眠れなくて、と立香は笑ってみせる。
「体調が優れないのでしょう、眠れないからとこんな場所にいては余計に体を壊してしまいます」
「……ごめん」
 主を思うが故の苦言に、素直に頭を下げる。流石に思うものがあるのか、ベディヴィエールは苦い顔で瞑目すると、小さく息を吐いた。とにかく中に入りましょうと促され、立香は素直に従いベランダを後にした。
 リビングの灯りを点けると、ベディヴィエールは棚からミルクパンを取り出す。コンロの火を点けてミルクを温めると、カップに注いだそれに蜂蜜をひと匙。それは初めて生活を共にした日に、立香が彼に渡したホットミルクであった。あの時と同じように、今度はベディヴィエールが立香にカップの片方を差し出す。それを受け取ると、立香は湯気を立てるカップの中身に少しずつ口を付ける。
「眠れないのなら、眠れるまでこうしてお傍におります」
 ベディヴィエールの言葉は、心配以外にどこか切実なものを感じる。そんなにも今日の自分は不調であったのかと思いながら、立香はゆっくりとカップを傾けた。少し前まで冷えた空気に満たされていた胸は、今はあたたかなもので満ちている。先程まで渦巻いていた不安は、不思議と波が凪ぐように落ち着いていた。
「大丈夫、眠れそう」
「後片付けは私がしておきますので、お休みください」
 その言葉に甘えて、立香はリビングを後にして自室に向かう。ベッドに身を横たえると、程なくしてやってきた睡魔に抗うことなく目を閉じた。しっかりと寝て、明日には体調を戻しておかねば、ベディヴィエールをますます気遣わせることになってしまう。思惟しつつもやがてその思考は霧散し、立香は深い眠りに落ちていった。