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微睡みの狭間で二度ほど食事を摂り、瞼を伏している間に機体はきっちりと定刻通りに目的地へと到着した。半日ほどを機内で過ごし、時差の分だけ時計の針を進めると、時刻は昼を幾分か過ぎた頃を差している。預けていたスーツケースを受け取り、交通機関を乗り継いで聞き覚えのある駅のアナウンスをぼんやりと聞いた。かつて自分が過ごしていた場所へと帰ってきたのだという感慨が遅れて湧き上がり、さほど変化の見られない街並みに安堵する。
いくつか掲示されている車内広告を眺めながら暫し揺られ、今まで降りたことのない名前の駅で下車をした。小型のスーツケースを引いて知らぬ道を通り、初めて入るマンションのオートロックのキーを入力する。エレベーターに乗り込み、既に支給されていた鍵を差し込んで回すと、広々とした玄関が広がっていた。中へ入ると手配通りに家具や家電類が並べられており、細かな荷物の入った段ボールがいくつか点在している。部屋をぐるりと見まわして、立香はようやく背後の人物に声をかけた。
「長いことお疲れ様、もう霊体化しなくていいよ」
その声に従い、長らく姿を消していたベディヴィエールが姿を現す。彼の存在は現代社会からすれば異物でしかないので、霊体化して姿を隠してもらっていたが、随分と長くなってしまった。立香に続いて部屋のあちらこちらをを見て回りながら、ベディヴィエールは目を瞬かせて問いかける。
「お一人で過ごされるには、随分と広い部屋のように思いますが……」
彼の言葉通り、立香が暮らしの拠点として選んだ部屋は一人住まいとしてはかなり広い、というよりも一人で暮らすことを想定していないような間取りである。立香は手近な段ボールを開封して目当ての物を見付けると、取り出したそれをベディヴィエールに差し出しながら問いに答えた。
「うん、これから二人で暮らすからね」
部屋が一人で暮らすにしては広すぎるのは当然のことであった。立香はそれを想定していなかったのだから。彼女は騎士に声をかけるよりも前から、この状況を迎えることを想定していたのである。差し出された男性物の洋服一式と、立香の顔をベディヴィエールは困惑した様子で交互に見ている。
「あっちがベディヴィエールの部屋! ほらほら、早く着替えてきて!」
間隔を空けて並んだドアの片方を指さしながら、立香はベディヴィエールを促す。戸惑いを隠しきれない様子であったが、立香の意志を受け取ると、ベディヴィエールは与えられた自室のドアの向こうへと姿を隠した。その間に立香は部屋に鎮座する段ボールを開封しては中身を移動させていく。
日用品類や衣類をあちらこちらへとしまいながら、それらが二人分であることに顔が綻ぶのを感じた。これからベディヴィエールと共にここで暮らしていくのだという実感が面映ゆく、そして嬉しい。新生活で高まる期待に、鼻歌でも歌いたい気分だ。ややあって開いたドアから、シャツとスラックスの姿に着替えたベディヴィエールが姿を現す。
「お待たせしました。まさか衣服を頂くとは思わず……」
少し照れ臭そうにベディヴィエールが礼を告げる。彼が鎧以外を纏っている姿を見るのは初めてのことであった。糊のきいたシャツに、落ち着いた色合いのスラックスは、飾り気がないながらも清潔感があり、ベディヴィエールによく似合っていると思う。タイとベストを加えてもいいかもしれない、と立香は購入予定の物品リストにその二つを加えた。
「よかった。男の人の服とか買うの初めてだったからちょっと心配だったんだけど、よく似合ってる」
ベディヴィエールは立香の言に礼を返しながら、荷物の整理を手伝い始める。重い物や大きい物をといった持ちにくい物を選別して運んでいく様子に、彼らしい気遣いを感じた。
「しかし、こんなにも買い込まれて資金は大丈夫なのでしょうか? 私の部屋なども頂いてしまい……」
荷解きの合間にベディヴィエールが問いかける。彼の心配は尤もであった。立香は未成年である。裕福な家の出というわけでもなく、外部からの資金援助はない。そんな中で家と二人分の住居環境をあっさりと用意してしまえば、多少の蓄えがあったとてすぐに底をついてしまうだろう。しかし、その点についての心配は無用であった。
「ああ、大丈夫。全権の放棄と一切の情報秘匿の代わりに、遊んで暮らせるくらいのお金を貰ったから」
事も無げに言い放った立香に、カーテンを取り付けていたベディヴィエールの手が止まる。時が止まってしまったかのような空気の中、静かに彼が息を呑む気配がした。つまるところ、それは立香の功績が一切なかったことになるということである。人理を巡って戦い続けた一年、それ以降も走り続けた動乱の日々も、その全てが切り捨てられてしまったのだ。立香の行いは、その一切が歴史に残ることなく抜け落ちる。
「そんな……!」
「人理を修復したのは手を貸してくれた英霊やカルデアの人達だよ。私がしたのは見届けることだけ」
藤丸立香に魔術の才はない。ただの凡庸な人間だ。人類最後のマスターという大層な肩書きだけは持っていたが、サーヴァントを召喚できたのもカルデアの英霊召喚システムの恩恵に預かっただけである。彼女自身として成したことといえば、事の発端の場に居合わせ、レイシフト適性を有した唯一の生き残りとして人理修復を見届けたことくらいだ。それは決して藤丸立香でなければできないことではなく、彼女は偶然選ばれたに過ぎない人間でしかなかった。ただ、人理修復の成功の上に立っていたのが彼女である。それが他の人間にもできたことなのかは分からない。確かめる術など存在しないからだ。
段ボールから取り出した真新しい調理器具をそれぞれの置き場へ並べていく。使いやすさを考えて決めたその配置がカルデアのキッチンと全く同じであることに気が付いて、立香は自分の中に深く根付く記憶に小さく笑った。長く過ごした場所での感覚が、すっかりと染み付いて馴染んでいるらしい。
荷物を大方片付け、軽く掃除をしているうちに、外はすっかりと暗くなってしまっていた。壁に取り付けられた掛け時計は、夕方を過ぎて宵の口に入った頃を差している。残りの荷物は明日片してしまおうと区切りをつけ、立香はコートを羽織りながらベディヴィエールに呼びかけた。
「ねえベディ、ごはん食べに行こうか」
段ボールを片付けていたベディヴィエールは顔を上げて時計をちらりと見ると、もうこんな時間ですかと呟く。無心で作業をしてくれていたのか、かかった時間に比べれば部屋は随分と片付いているように思う。日用品は用意できたが、食料品を事前に手配をしておくことは流石に難しかった。そのため冷蔵庫の中身は空っぽだ。今夜のところは外食で済ませて、食料品を買い込んでおかねばなるまい。
「気が付かず申し訳ありません。夜道は危ないですし、ご一緒させてください」
その言い回しに妙なものを感じつつ頷く。鞄の中身を確認して肩に提げようとした時、水面へ沈むように消えゆくベディヴィエールの姿を見付けて、立香は慌ててそれを制した。立香の慌てっぷりに少し面食らった様子で霊体化を止めると、ベディヴィエールは一体どうしたのだろうとでも言いたげな目を向けてくる。
「霊体化はしなくていいよ。そのために服も買ったんだし」
「そうですか……分かりました」
ベディヴィエールの返事はどこか歯切れが悪い。指示であるので従うが、その意図がよくわからないという困惑の色が滲んでいた。自室へ向かったベディヴィエールがコートを着込んで戻ってきたのを確認すると、立香はゆっくりとドアノブを回した。開いたドアの隙間から凛冽たる寒風が吹き抜けて頬を撫でる。後ろに続く存在を感じながら、立香はその中へと足を踏み出した。