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カルデアの日常は今日も穏やかに過ぎている。山頂はいつものように一面の銀世界で季節感も何もない。当然見られる景色も代わり映えすることなく、相変わらずの曇天だ。何故このような酷い立地を選んだのかと理解に苦しむが、神秘の秘匿や機密漏洩といった観点から考えると、なかなかに悪くないのかもしれない。山の上は天然の要塞だ。知識なく雪山を登ることは無謀に等しい行為であり、ここを訪れられるのはごく限られた者だけだ。そもそもこんなところに施設があると知っている人間すら少ないだろう。入るのが難しければ、出ることもまた難しい場所であり、人理修復を終えてなお、少女は一度としてこの山を下りたことがなかった。
少女──藤丸立香は眠い目を擦りながら朝食を口に運んでいた。中が浅く区切られたプラスチック製の白いプレートの上で、香ばしく焼き上げられた肉汁が滲むベーコンに、鮮やかな黄色が眩しいスクランブルエッグがとろりと乗せられている。ふかふかのテーブルパンと、ドレッシングがきらめく瑞々しいサラダ。以前はふっくらと焼かれた魚に出汁のきいた味噌汁といった和食がよく並んでいたが、それを用意していた者は、今はもうカルデアから姿を消していた。以来、食事には洋食が並ぶ機会が随分と増えたように思う。
激動の人理修復の旅から、もうどれ程の時が経っただろうか。あの頃に比べると、カルデアはひっそりとした静けさに包まれていた。これがこの場所本来の姿なのだろうが、時代も文化も違う様々な人間に囲まれながら賑やかな日々を過ごしてきたので、立香にはそれが少し寂しく感じてしまう。
グランドオーダーを終えたことを契機にほとんどのサーヴァントが姿を消し、それからも時を経るごとに彼らは一人、また一人とあるべき場所へと退去していった。今やカルデアは数人の英霊を残すばかりである。
「おはようございます、マスター。朝食をご一緒してもよろしいでしょうか?」
降ってきたのは、落ち着いた少し低めの男性の声。それに導かれて顔を上げると、立香と同じプレートを手にした騎士の姿がそこにある。今日もその長く艶やかな髪はきっちりと結われており、彼の几帳面な性格が伺える。僅かに傾げられた首に、頬にかかっている髪がさらりと揺れた。
「うん、一緒に食べよう」
頷きながら告げて席を引くと、翠玉の瞳が細められる。ありがとうございます、という礼と共に空けた席が埋められて、他者の存在を間近に感じる。食堂に二人以外の姿はなく閑散としており、こうして隣の席が埋められるのもベディヴィエールの厚意でしかないことを立香は知っていた。
本来、サーヴァントに食事は必要ない。人でない身である彼らを形作るのは膨大な魔力であり、魔力はカルデアから潤沢に供給されていた。サーヴァントにとって食事や睡眠といった行為は趣味嗜好の類に過ぎず、ベディヴィエールという英霊はそういったものを積極的に得ようとする気質ではない。
そんな彼が立香と食事を共にするようになったのは、サーヴァントの大部分が退去し、一人で食事を摂ることが増えてからだ。食堂で一人食事を摂る立香に、ベディヴィエールは今と同じ言葉を投げかけた。彼らしい、飾らない気遣いが感じられて、胸がじんわりと熱くなったことを思い出す。
食事を摂るベディヴィエールの姿を横目で見る。自分と同じナイフとフォークを使っているはずなのに、その所作一つ一つが洗練されて見えるのは何故なのだろう。ナイフでベーコンを切り分ける時も、食器とナイフが擦れる嫌な音が彼の時は鳴らないのだ。日本人と英国人という環境の違いがあるのかもしれないが、それを抜きにしても彼の食事風景は美しく見えた。視線に気付いた容貌が、笑みの形に綻ぶ。
「どうかされましたか?」
食事の手を止めてベディヴィエールが問いかける。咀嚼していたスクランブルエッグを慌てて飲み込んで、ナイフとフォークを八の字に置いた。テーブルマナーとは縁遠い場所で生きてきたのであまり自信がない。王に仕える騎士である彼はそういった作法も磨いてきたのか、それとも生来持ち得た繊細さ故か。他の騎士達の食事する姿も見てみたいと思ったが、彼らは既にカルデアから退去した後だ。再び轡を並べた円卓の騎士達は、役目を終えて各々座へと還っており、残っているのはベディヴィエールのみである。彼がカルデアに残り続けている理由を立香は知っている。知っているが、そのことについては考えないようにしていた。
「いつも一緒に食べてくれてありがとう」
本当に考えていたことを口にすると、そこから引きずられるように気持ちが沈んでしまう気がして、立香は思考していたものとはまた別の本心を告げる。一人の食事が苦手な訳ではないが、賑やかな食事を知っていると静けさが際立って感じられる。共に食卓を囲んでくれる存在があることが、あたたかな優しさが、立香には嬉しかった。
「こちらこそ、同じ食卓に着かせていただけることに感謝しています」
そのかんばせは、花が綻ぶと形容するに相応しい。華やかな大輪の花ではなく、春の日差しを受けた野花が咲き匂うかのような、素朴でやわらかな微笑みであった。二人顔を見合わせて笑うと、食事を再開する。カルデアの日常は、今日も穏やかに過ぎていく。穏やか過ぎるほど、穏やかに。
レイシフトを行ったのはどれほど前のことであっただろうか。特異点の揺らぎもここ最近は全く見られず、カルデアスは蒼穹のような美しい青を湛え続けている。シミュレーターでの研鑽は欠かさないものの、それが活かされる機会がなくなってから随分と久しい。幾度かの動乱を経て、世界はすっかりと元の落ち着きを取り戻していた。既に一度人理が焼却されたことなど、まるで夢物語であるかのように。そのことを喜びこそすれ、恐れる理由などないというのに、平穏な日々が続くにつれて、立香の胸に寄り添う焦燥の影はいっとう暗く大きく、はっきりと形を成していくのであった。