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食事を終えて、散策も兼ねてショッピングモール内を散策する。服に雑貨、生活用品などの店がフロアごとに分かれていくつも並んでおり、どこも利用客で賑わいを見せていた。様々なフロアを歩き回る中で、ベディヴィエールがふと足を止めたのはペットショップの前だった。
「気になる子でもいた?」
動物が好きなのだろうか。少し意外に思いながら問いかけると、返ってきたのは彼らしいといえば彼らしい回答であった。
「城に獅子の仔がいた時がありまして。その仔がとても王に懐いていたんです。そのことを、思い出していました」
過去を慈しむ視線の先では、茶色い毛を纏った猫がケージの中を動き回っている。立香が近付くと、興味津々といった様子で小さな体躯が駆け寄ってきた。そろりとガラス板に手を伸ばす。そこへ頬をすり寄せるかのように触れてくる姿がなんとも愛らしい。この猫を迎えれば、二人きりのあの家はさぞ賑やかになることだろう。そんな生活も悪くないのかもしれない。猫も成長と共に落ち着きを持ち、ゆくゆくは共にゆったりと過ごすことになるのだろう。その想像は立香の心を大いに和ませた。
そうして発しようとした『飼ってしまおうか』という言葉は、音になる前に否定されることとなる。
「生き物は……やめておきましょう」
苦い表情でそれを紡いだのはベディヴィエールであった。諦念か、それとも他の何かか、その声音はひどく乾いた響きを伴って立香のもとへと届く。立香の想像が成立し得ないものであることを、一番よく分かっているのはベディヴィエールだ。彼はやがて消える身として立香の傍におり、サーヴァントを留められるような膨大な魔力源もないこの状況で、現界できる時間など保って数日である。それを知っているからこそ、ベディヴィエールは立香の甘やかな妄想を認める訳にはいかなかった。それをしてしまえば、後で苦しむのは立香であるからだ。彼は、常に自身の終わりを見据え続けていた。
ベディヴィエールの中に未来に続く像がないことこそ立香の胸を激しく掻き毟っていったのだが、その終わりを変える手段など見つけられていない中で可能性を語ることに意味などない。それが分かっているから立香は縋る言葉を飲み込んで、そうだねという同意の言葉を返した。
暗い影は常に二人の傍に寄り添っている。照らす光が明るければ明るいほど、影は暗く濃く足元に伸びるのだ。それはこの生活を始める前から理解していたつもりではあったが、その実全く分かっていなかったのだということを、立香は胸に広がる痛みに気付かされる。未来の展望を抱けないことが、それを共にありたいと願っている人物から突き付けられることが、こんなにも辛いことなのだと思ってもみなかった。
これ以上の会話を打ち切り、気持ちを切り替えて食料品売り場のフロアへと向かう。まずは明日の食料を確保せねば、未来の展望も何もない。献立を頭の中に思い描きながら、あれこれと食材をかごに入れ、調味料一式まで揃えればかごの中身はずっしりと重くなった。会計を済ませ、袋詰めを終えると、米袋などの重い物が入っている袋が片っ端から奪い取られ、残っているのはこまごまとした軽いものが入った袋だけになってしまった。
「そちらの袋を持っていただいてもよいでしょうか?」
むしろこれだけしか持つものが用意されていない、という状態でも、ベディヴィエールは当然のように伺いを立てるのだ。断るつもりなど毛頭ないが、立香が断れば彼は全ての荷物を抱え持ってしまうのだろう。サーヴァントたるベディヴィエールにとって、この程度は全く苦にならない重さなのだろうが、そう考えるとこうして立香が手にする荷物が用意されているのは彼の気遣いなのではないだろうか。隙のなさを感じながら、立香は礼と共に残された袋を手に提げた。
通った道をそのまま辿りながら帰路に就く。明日は辺りを散策してみるのもよいかもしれない。立香自身にやるべきことはなく、それによって生活が困窮することもないので、さながら高等遊民のようであると自らの身の上を思う。しかし、そんな身分故にベディヴィエールと過ごす時間を取ることができるのだろうと思うと、決して人に自慢できるようなものではない非生産的なこの状況に感謝すらあった。
帰宅し、買い込んだ物をあちらこちらへとしまい込むと、長旅を経て蓄積してきた疲労がどっと押し寄せてきた。そういえば、カルデアを出てから今まで、休息らしい休息といえば機内で眠った時間くらいしかなかったことに今更ながらに気付く。今日のところは早くに寝てしまおうと早々に入浴を済ませ、身支度を整える。
「ベディもあまり遅くならないうちに寝るんだよ」
「……私も寝るのですか?」
ぽかんと呆けた表情を取り繕うことなくベディヴィエールは問いかけた。サーヴァントに睡眠は必要ない。その不要な行為を当然のように勧められるのだから、彼の戸惑いも分からなくはない。
「眠る方が起きてるより魔力の消費が抑えられるんでしょう? それに、私が寝てる間ベディが一人になっちゃうのも嫌だなって」
ホットミルクに蜂蜜をひと匙混ぜたものを二杯。片方をベディヴィエールに差し出して、もう片方をちびちびと傾ける。温かなミルクの香りとほんのりとした甘みが舌に広がり、嚥下するごとに立香は気分が安らいでいくのを感じる。
「では、私も今日は早めに眠ることにします」
立香の中に理由らしい理由などないということは、今日のやりとりで知っているのだろう。小さく微笑むと、ベディヴィエールはホットミルクが注がれたカップに口を付けた。他愛もないことを話しながらカップの中身を空にして、浴室へベディヴィエールが向かうのを見送ると、立香は窓を開けてベランダへと出た。見上げた空には円い月と幾つもの星々が煌めいている。シミュレーターで見たものよりもずっと遥か遠くにあるそれを、立香は見つめる。
胸一杯に息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。見えない暗闇の向こうから、或いは背後から、焦燥がじっとこちらを伺っている気配がする。それは常に立香の傍にいて、大きく口を開いて立香を飲み込む機会を今か今かと待っているのだ。夜空を照らす仄かな輝きをその目に焼き付けながら、逃げ切ってみせる、と立香は誰に宛てるでもない宣言を胸の中ですると、ベランダを後にして冷えた体をベッドへと横たえた。
逃避行は続く。少女は騎士の手を取って走る。逃げる。何から逃げているのか分からないまま、ただひたすらに。
* * *
「冠位魔術師であるあなたにお願いがあるの」
よく知った少女の声がした。だがその姿はどこにも見えない。視界の中にはただ一人、よく知るかつて宮廷魔術師であった男の姿だけがあった。宵闇を背に佇む姿は今にも溶け消えてしまいそうでありながら、月明かりを受けた長い白髪が青白く発光するかのように浮かび上がっている。
「私に、ではなく、冠位魔術師に、とは大きく出たものだ。君にそれだけの対価が用意できると思っているのかな」
紫水晶の瞳が、じっとこちらを見下ろしていた。その奥に宿る熱はなく、感情の色が滲むこともなく。ただ射抜くように、審問するように、何も映さぬ視線が注がれ続ける。視線が外れないのは、視界の主が目を逸らそうとしないからなのだと気が付いた。問いかけの答えのみが許された沈黙を、夜風が音もなく吹き抜けていく。
「私に差し出せるものなら、何でも」
再び聞こえる少女の声。そこでようやく、この視界の主が少女であるのだと気が付いた。つまり、今こうして目の前の魔術師に懇願しているのは立香なのだ。冠位魔術師に、ましてやこの男に、である。何でも差し出すという言葉を躊躇うことなく告げる様子を恐ろしく思うと同時に、彼女がそうまでして叶えたい望みとは一体何であるのかが気になった。
暗闇の隙間を縫って、男の手が伸ばされる。大きな掌が頬を包み、羽のような軽さで撫で降りていくと、小さな顎を捉えた。親指の腹が明確な意図を以てゆっくりと下唇をなぞる。
「君の肉体、だと言ったら?」
囁くように、蕩かすように。その一言が発される。危険だ。その甘い声音に呑まれてしまえば、二度と戻れなくなってしまう。しかし、こちらの意思とは無関係にその唇は開かれる。
「それで、私の願いが叶うなら」
一瞬の逡巡もなく、彼女はそう告げた。揺らぎの一切ない、力強い声音であった。何があろうとその意思は絶対に折れない。彼女が時折発するその声色の意味を、ベディヴィエールはよく知っていた。知っているからこそ、彼女の決意の固さが、その先にあるものが、怖いと思った。その折れぬ意思で、一体彼女は何を成そうとしているのだろう。
男はこちらを見つめている。長い指先が少女の髪を弄び、梳いていく。視線は決して逸らされず、その熱で焦がさんとばかりに男の瞳へと向けられていた。数度瞬きを繰り返し、男はふっとその相好を崩した。
「うん、いいだろう。君のお願いとやらを聞いてみようじゃないか。報酬は……そうだな、君の願いの結末を見届けること。それでいい」
毛先を擽っていた手が、子供をあやすかのような動きで優しく頭に二度ほど乗せられる。夕陽色の髪がさらりと揺れた。
「君の体の甘さにも勿論興味はあるのだけれども、私は君の行く先が見てみたい。さあ、君が私に望むことは何かな?」
揺らめく男の瞳に、硬い表情をした少女の姿が映っていた。固く引き結ばれていた珊瑚色の唇が開かれ、その願いを言葉に乗せて紡ぎ出す。
「私に──
視界が白む。静まり返った世界は冴え冴えとした空気に包まれていた。そこに寄り添うように雀の鳴き声だけが聞こえてくる。それは、清々しい朝の訪れであった。どうやら夢を見ていたようだが、仔細は微睡みの中へと置いてきてしまったらしい。おぼろげに漂うその残滓を拾い上げようとして、それは開いた手から水が流れ落ちるかの如く消えてしまった。思い出さなくてはならないという焦りに似た感情が、強く胸を叩く。しかし、それを嘲笑うかのように夢の中の記憶は意識が明瞭になっていくごとに霧散して、もう手が届かなくなってしまう。妙な心地の悪さを覚えながら、ベディヴィエールは身を起こす。まだ日の昇り切らぬ頃のひんやりとした空気が体に纏わり付いてくるのと同時に、ふわりと漂う食事の香を感じた。主は既に起きているらしい。
体は今までと遜色なく動く。よく眠ったからか、移動の際はずっと霊体化していたからか、魔力の量もほとんど減っていない。思いの外長く現界できそうで驚くが、主の喜ぶ顔を少しでも長く見られることは、騎士にとっても喜ばしいことであった。果たしていつまでこの世界に留まることができるのだろうかと感じながら、手早く身支度を整えるとベディヴィエールはリビングのドアを潜った。
* * *