陽光或いは蜂蜜のような

FE風花雪月ディミレス

「髪を切りたいんだが」
 頼みがあると切り出され、何事だろうかと身構えていたベレスに告げられたのはその一言であった。予想外の内容は、ベレスにほんのりとした戸惑いを齎していく。理髪師を呼ぼうかと問えば、ディミトリは緩く首を振った。
「お前に切ってもらいたいんだ」
 真っ直ぐに見つめる視線は、真摯な色を宿している。何気ない行為であるが、彼にとって特別な意味を孕んでいるのだとベレスは確信に似た直感を抱いていた。ずっと彼を見つめてきたのだ。考えていることは手に取るように分かる。
「分かった」
 頷いてみせると、ディミトリは安堵した様子で相好を崩した。出会った頃に比べて随分と伸びた髪は、無造作に伸ばされていながらも変わることなく美しく艶めいている。その眩いばかりの金の色が、ベレスはとても好きだった。だからこそ、そこに自分が刃を入れるという行為には躊躇いを覚えてしまうのだ。
 だが、ディミトリはベレスにこそそうして欲しいのだと願った。ならば、それに応えない理由はない。特別な行為であるというのならば尚更だ。
「綺麗には切れないと思うけれど、できる限り頑張ってみるよ」
「ああ、頼む」
 私室へと場所を移し、広げた大布の上に椅子を置いた。人の髪を切るのは初めてのことだった。櫛と鋏を準備したものの、緊張は拭えない。長く伸びた髪を指先に絡めていると、やや硬い感触がさらさらと流れていく。
 櫛を差し入れ、髪の流れを整えていく。こうして梳っていると、切るのが勿体なく感じてしまう。しかし、これは彼自身が望み、決めたことである。鋏を手にすると、ベレスは手にした髪の束に刃を入れる。
「どこまで切る?」
 ベレスの問いに、ディミトリは横目で彼女を見遣る。そうしてその瞳は和やかに細められた。懐古の海を漂う視線は、やがて確たる思いと共に前を向く。ディミトリは強い意志を滲ませた声音で答える。
「お前と、出会った頃くらいに」
 頷き、ベレスは鋏を持つ手に力を込める。夜明けと共に訪れた三名の生徒。助けを求める彼の声と共に、ベレスの運命は始まったのだ。
 さくり、と小さな音を立てて髪は分かたれる。
 彼が過ごした日々の積層の一部が、羽の如く軽やかに舞い落ちていく。その様をベレスはじっと見つめていた。その時間は、決して楽しいものではなかっただろう。憎しみに心を燃やすことで足を進め、命を削り続けた日々であった。孤独に殺しを重ねて彷徨い続けた彼は、王として人々を導き慈しみながら生きている。その後ろ姿を、幾人もの人々が見つめている。万民が仰いでいる。そうしてベレスは彼の隣でその姿を見守り、そしてその目が映す未来を共に見つめている。そのことを、嬉しく、誇らしく思う。
 さくり、さくりと髪を切り落としていく。
 出会った頃の彼を思い出す。一見明るく礼儀正しい中にも、どこか影を感じる瞳。友好的に接しながらも一線を引き、底の知れないものを感じさせるその精神。知りたいと思った時から、そうして無意識のうちに踏み込んだ時から、少しずつ彼という人物を知っていってから、ともすれば出会った時から。自分はディミトリを愛さずにはいられなかったのだろうとベレスは思う。
 どうして、などという理由などない。それが分かっているのなら、自分はもっと上手に恋をすることができたのだろうと、知らずのうちに育んできた気持ちを想う。恋と呼ぶのか分からぬその思いは、今は愛であるとはっきりと分かる。
「終わったよ」
 肩にかけていた布を解く。自身の首元に手をやったディミトリは、どこか擦ったそうに笑う。ずっとそこにあった感触がないことに慣れないのだろう。
「伸ばしておくのも悪くないと思うけれど、これからは短くするの?」
 随分と短くなった自身の毛先に触れながら、ディミトリは思惟する。髪を切る行為こそが重要であり、今後どうするのかは特に決めていなかったのだろう。
「どうするかは特に決めていなかったんだが……伸ばすにしても、一度区切りとして切っておきたかったんだ。ありがとう、先生」
 切り落とした日々は、決して消えることはないものである。消したいと願ってのものではなく、ただ、ディミトリ自身とその過去にけじめを付けるために。
「時間は沢山あるからね。ゆっくり決めるといい」
 短く切り揃えた髪を梳く。これからこの髪はどうなっていくのだろう。その時間を共に過ごせる喜びを噛み締めながら、ベレスは蜂蜜色の幸福を抱き締めた。