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白身魚と根菜を煮込む。柔らかく具材が溶けてきた頃に、煮汁を小皿に取り分けて味を確かめる。考えていた通りの味であると確認してから器に注ぎ、チーズを乗せて釜の中へ。夜も深まった頃、ベレスは一人厨房に立っていた。
食事を終えた後の食堂はすっかりと静まり返り、がらんとした空っぽな空間が広がっている。食事時には煌々と灯されていた燭台の火も今は殆どが消されており、厨房の脇に置かれた蝋燭がベレスの手元をぼんやりと照らすばかりである。ベレスの他には誰もいないその空間に、釜の火が焦げる音が微かに響いていた。チーズが溶け、表面には薄らと焦げ目が付き始めると、食欲をそそる香りが辺りに漂う。ベレスは調理場に備え付けられた台机の上に盆を置き、敷き布を乗せると釜から取り出した器を移した。棚から食器を取り出して器の隣に添えれば、食事の準備はすっかりと整った。
後は卓へと運べば美味しい夜食の始まりであったのだが、ベレスは台机に作った食事を置いたまま、軽やかな足取りで食堂を後にする。無人となった食堂に残った白い湯気が、どこか寂しげにその存在を主張していた。扉を開ければ、ひどく冷たい空気がベレスの頬をするりと撫でていく。
ベレスは辺りを見渡し、誰の姿もないことを認めると、すっかりと日の落ちた修道院を歩き始めた。星辰の節を過ぎ、随分と深まった冬の空気はベレスの体温をあっという間に奪っていく。ふるりと身を震わすと、ベレスは歩く足を速めた。
訓練場、騎士の間。訪うものの探している姿はない。図書室も覗いてみたが、薄暗い部屋の中で本達がひっそりと息を殺しているだけであった。さていかにしたものかと考えて、『もしかして』という閃きが頭に浮かぶ。まさかと思ったが、連日そこに立つ姿を見ている以上、その考えが確信に至るまでに時間はかからなかった。もしもまだそこに彼が立っているのなら、一体いつからいたのだろう。
半ば走るように急ぎ足でベレスはそこに向かう。そうしなければいけないという焦燥が彼女の足を動かしていた。吐き出した熱い吐息は真白い色をしている。そのことが、より一層ベレスの足を速めた。
大修道院の最奥、堅牢な城塞に守られるようにして、大聖堂がそこにある。日のあるうちは祈りを捧げる人々が幾人も集い、聖歌が高らかに響き渡るその場所は、夜になると人が訪うことを拒むかのように晦冥に閉ざされており、まるで違う姿を見せるのだ。それはどこか、彼に似ているとベレスは思いを馳せる。
「ディミトリ」
日が落ちて暗闇に包まれた大聖堂の中、瓦礫が堆く積まれた祭壇の前に彼は立っていた。返事はなく、干渉を受け付けない背中がそこにある。
日中に燃やされていた暖炉の火は、日暮れと共に人の訪れがなくなったことで消されており、熾火すら残っていない。冷え切った空気だけがそこにあり、闇夜に溶け込むようにして立っている姿。
「ここは寒い。ずっといると風邪をひいてしまうよ」
真っ直ぐにこちらを見つめてくれていた凛とした双眸は、今はベレスを見ようとしない。片側は眼帯に覆われており、その輝きを失ってしまった経緯をベレスは知らない。残った左側はどろりと澱んだ色を湛えながら、ただじっと誰にも見えぬ何かを見つめている。曇った色彩の向こう側では、黒々とした憎悪の炎が激しく燃えている様子が垣間見えた。
「それに、君はまだ食事を摂っていないだろう」
士官学校で共に過ごしていた頃は、共に食卓を囲んできた。他愛無い会話を楽しみながら、皆で食事を楽しんでいたのだ。だが、再会した彼が誰かと食事を共にする姿を見たことがない。それどころか、食事時に食堂を張っていても彼が現れたことは一度としてなかった。彼が倒れていないことや食料の減り具合を見ると、食事自体は摂っているのだろうが、ひどく殺伐としたものであるのだろう。
「まだここに居るのなら、暖炉の火を点けるけれど」
この場所はひどく寒い。ファーガスに比べればガルグ=マクは随分と温かい場所であるのだろうが、それでも真冬の気候であるのだ。体調を崩してしまわないかと心配にはなる。ベレスは寒気に冷えた己が腕を擦った。ここにずっといたのであれば、彼の体は相当冷え切っているのではないだろうか。
ベレスの言葉に対して、一切の返事はなかった。『先生』と呼ぶ青空のような声音を思い出して、ほんのりと切なさが込み上げる。纏わり付く存在を厭うように、ディミトリは言葉なく踵を返して歩き出す。一瞥をくれることもなく、大きな歩幅はあっという間に二人の距離を広げていく。
「食堂に夕食の残りがあるから、食べるといい」
闇の中に溶けゆく背中に声をかける。その歩みは緩みも止まりもしない。温かいうちに食べてくれるだろうか──思惟しながらベレスは冷たい腕を擦った。