透徹に色

FE風花雪月ディミレス

「ディミトリ、君に届けて欲しいって」
 突然先生に呼び止められたかと思えば、手渡されたのは小さな封筒だ。封筒に施された装飾から、公務にまつわるものではなく、私的な手紙だと読み取れる。誰からだろうかと思いつつもひとまず受け取り、自室へ戻って封を開ける。そこにあったのはやや小さめの、丸みを帯びた文字だ。
 親愛なるディミトリ殿下、という書き出しから始まったのは言葉を選び、綴られた幾つもの賛辞と、そんな貴方を慕っていますという締め括りの一文であった。
 ひどく息が詰まる。自分はそんな、褒められるような人間ではない。死に損なった骸が、復讐という糸で操られているだけに過ぎないのだ。
 手紙のどこにも差出人の名はない。返事は求めていないということなのだろうか。自分の気持ちだけ押し付けて終わりとは少し無責任な気が少しするが、どうしても気持ちを伝えずにはいられなかったという心情を慮ることはできる。
 厄介な物を貰ってしまった。人から受け取った好意を厄介と言うのは忍びないのだが、どこにも逃がしようもない鬱然とした気持ちだけを残していくのだからそう感じてしまうのも仕方がない。誰のものとも知れぬ思いの丈をどう処理したものかと考えて、捨てることもできずに抽斗の中へと仕舞い込んだ。
 もうこんな手紙を貰うこともないだろう。受け取った手紙は、いつか方法を考えて処分することにしよう。そう考えていたのだが──
「ディミトリ、君に渡して欲しいって」
 言葉と共に手渡されたのは、やはりと言うべきか手紙封筒であった。無碍にする訳にもいかず受け取るものの、施された控えめな装飾に何となく中身の予想がついてしまう。嫌な予感しかしない。溜息が出そうになるのを何とか飲み込み、中身を開くと綴られていたのは書き取りの手本のような整った文字であった。
 白い紙の上には、貴方をずっと見ていた、できればもっと親密になりたいといった類の言葉が並んでいる。自分はこのように好意を向けられるような人間ではないと、鬱屈した思いが重石のようにのしかかり身も心も鈍らせていく。前回と違うのは、文章の終わりに差出人の名が書かれていることだった。
 その名前には見覚えがある。同盟領付近に領地を構える貴族の娘だ。書き文字の美しさにも得心がいく。貴族令嬢とは数多に咲く花の中で最も咲き匂う存在となるために、様々な教育を施されるものであるからだ。
 己が家の地位を高めるため、王族へ近付こうという狙いなのだろうか。どういう意図でこの手紙を寄越してきたのかは分かりかねたが、彼女の意向に添えないことだけは明らかだ。差出人が分かっていることはまだ気が楽だった。
「俺にはやらねばならないことがある。すまないが、希望には添えそうにない」
 手紙を突き返すと、切れ長の涼やかな目は臆することなく見つめてきた。眉一つ動かぬ表情から思考を読み取ることはできそうにない。先生のそれとはまた違う、己を律し、感情を顔貌の内に隠して他者に気取られないためのものだ。
「そう仰ると分かっておりました。私が直接お渡ししたところで、殿下は受け取って下さらなかったでしょう。殿下は誰に対しても公平で、平等で──決して特別を作らないお方ですから。だから先生に預けたのです」
 言いながら、白く滑らかな手が突き出した手紙をやんわりと押し返す。
「既にお渡しした物です。ご不要でしたら、手紙はどうぞ燃やして下さいな。そうでもしなければ、私の存在など殿下は気にも留めて下さらないでしょう?」
 淑女の礼をとり、去っていく背中を見送りながら、何なんだと思わず呟いた。手放すことに失敗した手紙の感触が、生々しくその存在を主張している。手紙は燃やせと彼女は言ったが、人から貰った思いを燃やすことなどできようものか。これから処分に困る手紙のことを考える度に、彼女の姿が脳裏に過るのだろう。そのことを分かっていて告げたのであれば、何とも意地の悪い話である。
「先生、悪いが俺宛の手紙を預かるのはこれから控えて欲しい」
 これ以上厄介な物を増やしてしまう前にと先生を呼び止めて先手を打つ。どうして? と小首を傾げ、無垢な双眸を向けられれば答えない訳にはいかなかった。
「その……恋文の類が送られてきていて、少し困っているんだ」
 先生は数度目を瞬かせて、そして眉ひとつ動かさず抑揚の薄い声音で呟いた。
「そうか、ディミトリが誰かと恋仲になるのも嫌だし、これからは控えよう」
 何と言えば良いのか分からず、言葉を継げないまま先生はそよ風のように去って行く。どういう意味だと、細い腕を掴んで問い詰めたい。できるはずもない。何故こんなにも動揺しているのか、自分が分からない。そっと、玲瓏たる声音が囁きかける。
 ──決して特別を作らないお方ですから。だから先生に預けたのです。
「──っ!」
 そんなこと、あるはずがない。あってはならない。覆った顔は火のように熱い。