サニーサイドアップの恋情

FGOベディぐだ

申し訳程度の現代パロ


 朝七時、ドアの前で深呼吸するいつもの儀式。片手に携えた指定のゴミ袋を確認しながら、朝の外気にきんと冷えたドアノブをゆっくりと回した。
 空は夜の残滓を残した紫と、未だ昇り切らぬ陽の橙が、境目をなくして溶け合っている。澄んだ空気を胸一杯に取り込みながら、どくりどくりと鼓動する自身の心臓を感じる。いつか不整脈で死んでしまうのではないかと他人事のように心配しながら、立香は使い込まれて柔らかくなった焦げ茶色のローファーで強く地を踏み締めた。深い紺色のスカートが踊る。ぴっちりと折られたプリーツが、清廉な美しさを醸し出していた。
 マンション共有のゴミ捨て場までは少しばかり距離がある。それをずっと煩わしく思っていた立香であったが、ある時を境にむしろ好ましいとさえ思うようになっていた。その理由は実に単純だ。
「おはようございます」
 見付けた背広姿に声をかける。振り返った男は、立香の姿を認めるとにこやかに微笑んだ。それだけで、面白いほどに立香の心臓が跳ねる。練色の長い髪は今日も美しく纏められていて、朝日を受けて艶めく様子は朝露に濡れる白百合を思わせた。
「おはようございます」
「今日は晴れましたね」
 男の隣に立ち、ゴミ袋を備え付けられたボックスの中へと投じる。まっすぐに視線を受けてまともな精神を保っていられる気がせず、立香は清々しく晴れ渡った空を仰いだ。
 ここ数日雨が続いていたものだから、雨傘を片手にした男の姿が記憶に新しい。宵の口のような深い紺色の傘に、その表情が時折遮られるのをもどかしいような気持ちで見ていたものだが、こうして数日ぶりにまともに顔が見られるようになると、あれは天が与えたもうた休息だったのではないかとすら思ってしまう。
「ええ、そうですね。雨の中の通勤は気が滅入ってしまうので晴れて良かったです」
 男の少し低い声を聞きながら、立香はこの人もそんなことを思うのだと新たな発見に胸を震わせた。誰でも抱くであろうその辟易でさえ、男のものであれば立香にとってはひどく価値のある発見になるのだ。
 もっと沢山のことを知りたいと思う、近付きたいと思う。願わくば触れてみたいとも。胸の中に芽生え、自然と変化していったものは、もうきっと病と化しているのだ。
「あ、あの! め……」
 立香は本来、この時間は外にいない。ようやく目を覚ましたところといった状態で、そこからばたばたと朝の支度をするのがいつものことであった。それが今や、一時間前には既にしっかりと目を覚まして準備をしているのだからその病の進行具合がよく分かる。
「め……?」
 男が不思議そうな表情を浮かべながら鸚鵡返しに応える。たったそれだけのことで、立香の緊張は極限にまで到達し、のぼせ上がる頭がぐらぐらと揺れ始める。
「目玉焼きには何をかけますか……?」
 やっとの思いで紡ぎ出したその一言に、男は面食らった様子であったが、やがて穏やかに相好を崩すと塩胡椒でいただきますねと答えた。
「では、私はそろそろ行きますね。今日も良き日となりますよう」
 にこりと一つ微笑みかけて歩いていくその背中をじっと立香は見守っていた。頬は未だ熱く火照っている。本当に聞きたかったことは聞けずじまいであったが、名前すら知らぬ彼の新たな一面を知ることはできた。
「塩胡椒なんだ……」
 それなりに社交的な立香であるが、不思議なことに、男の前になるといつもてんで駄目になってしまう。メールアドレスすら聞き出せぬ、儘ならないこの感情。目玉焼きにはケチャップをかけ続けてきた立香であったが、今日からは塩胡椒をかけるようになるのだろう。
 それはもう、草津の湯でも治らぬ恋の病だ。