きらきらと降り注ぐ

FE風花雪月その他

金鹿クリア記念に書いたもの


 十傑とは罪科の烙印である。神殺しの咎を血に宿し、脈々と継ぐのだ。
 生きる方法を探すと決めてから、少ない時間を割いて紋章の研究に明け暮れてきた。先生と二人、あらゆる書物を調べているが未だ足がかりは得られていない。
 紋章学については知識こそあれど究められるほどではない。先生は何でも卒なくこなしてしまう人であるが、今回ばかりは一筋縄でいかないようで苦戦を強いられている。紋章学に詳しい人がいれば──という甘い考えは浮かんだ瞬間に捨てた。自分の手で潰した可能性に縋るなど、あまりにも愚かで滑稽ではないか。
 紋章学者の部屋に残されていたのは、実に健全で熱量に溢れた研究の数々。数多の血と命を用いて、体を切り刻むような非人道的な内容などあろうはずもない。紋章とは何かという命題に基づいて、様々な角度から考察がなされていた。その結論のうちの一つに『人の体は複数の紋章を宿せない』というものがあった。
 紋章とは力だ。かつての貴族は紋章を幾つも持てないかと躍起になっていたようだが、結果は今の歴史が物語っている。本来『そう作られていない』ものを『そうできる』ように作り変えられたものがこの体である。欲しくもないものを与えられ、代わりに全てを奪われた。何もかもを手放し、諦めざるを得なかった。
 停滞していた研究が動きを見せ始めたのは、アンヴァル宮城に隠し部屋が発見されてからであった。闇にうごめく者達が行ってきた実験と、得体の知れない技術の数々。そこから保有し得ると考えられる兵器と兵力の予想。対抗策を巡らしていたであろうエーデルガルトが残していった、膨大な量の手記である。
 帝国と闇にうごめく者は協力関係にあったが、あくまでそれは一時的なものらしい。フォドラを統べた後に、歴史の裏では新たな戦争が始まっていたのだろう。
 手記の内容を紐解き、頭の中に落とし込んでいく。非道な行いではあるが、彼らが独自に築き上げてきた技術は非常に高度なものであった。現代の魔道が時代遅れに感じてしまうほど、水準が高すぎるのだ。時代が違う。その一点に関しては畏敬すら覚えるが、同時に『これは葬り去られるべきものだ』と改めて感じた。
 彼らの技術を理解するには、血の実験を知らねばならない。被験体であったが故に内容はよく知っているが、やはり気分が悪い。エーデルガルトもやはり同じことを行われていたようだが、彼女は『最高傑作』なのだそうだ。彼らが唐突に私への興味を失った過去がぴたりと付合して、苦い思いが胸一杯に広がる。
 私の存在とは、命とは、一体何だったのだろう。
 空ろを抱えて生きることの虚しさなど分かるまい。自分が今、必死に行っていることは全くの無意味なのではないか。自暴自棄な自分が囁きかけてくる声を黙殺して、手元の紙に整理した思考と思い付いた草案を幾つも書き留めていく。
 既存の術式を丸ごと作り変えて再構築することを試みてはいるが、土台となるものが非常に難解な構造であるため、あまりの情報量に眩暈がしそうだ。
 甘いものが欲しい。とても、猛烈に。その思考が過ぎると同時に、途切れた集中の隙間を縫って甘い焼き菓子の匂いが滑り込む。思わず顔を上げれば、先生の姿が目に入った。胸の前にある大きな盆には、茶器と菓子が行儀良く並んでいる。
「先生! 丁度欲しいと思ってたとこなんです!」
 うまく回らなくなった頭に残った語彙はひどいものだった。書き物で汚れた手を清めると、応接用の卓に茶会の用意が整っている。果実を混ぜた茶葉の甘酸っぱい香りが実に心地良く、ずっと張り詰めていた心が解れていくのを感じる。
 王となるにあたって、先生は今まで以上に多忙を極めている。そんな中でもこうして私を気にかけ、力を貸してくれることはありがたい反面申し訳なさもある。この人に、私ができることは何だろう。考えども短命なこの身が枷となるのだ。
 ずっと、焦りが付き纏っている。この身に施された術の構造を全て展開し、紋章へ干渉することはできる。しかし、紋章を打ち消すほどの強い作用を起こせない。
「紋章を打ち消すことはできそうでも、紋章へ干渉する方法が分からない……」
 呟く声は重く、先生もまた壁に阻まれていた。手詰まりだなど、認めたくない。
「──え。先生、紋章を打ち消す方法、分かるんですか?」
 焼き菓子が皿の上に落ちる。次の瞬間には手が新たな紙を掴んでいた。互いの仮説を擦り合わせながら、手元の紙に整理したものを走り書いていく。紋章が反発する力を利用するという発想は至ったことがなく、いかに考えが凝り固まっていたかを思い知らされた。思考の速度に手が追い付かないことがもどかしい。
 定着している紋章を除去、或いは無力化させる術を新たに介入させるのではなく、紋章を反発させることで打ち消すのであれば、体への負荷も少ない。新たな術式を練る必要もなく、展開していた術も問題なく再構築できるはずだ。
「できます、この方法なら……!」
 長い夜明けを臨むように光が差していた。検証を行う必要はあるが、二人力を合わせて至った解に穴は見られず、散逸していた仮説がすっきりと収まっている。
 長らくこの体を縛っていた忌まわしい双つの紋章が、ようやく消えるのだ。そう考え、ふと──今までになく強い焦りを感じた。
 焦るようなことなど何がある。何故私は心細さすら抱いているのだ。今の私を形作っているのは私自身が積み重ねた努力であり、決して紋章の力などではない。
「──先生、」
 そう自負しているはずなのに、何故私はこんなにも情けない声を出して先生に縋っているのだろう。こんな思いを今まで抱いたことはなかった。私は、私が持つ力に絶対の自信があった。それだけは、決して私を裏切ることがなかったから。
「言ってごらん」
 がたがたに崩れたみっともないその音を、先生は拾い上げてくれていた。ぐちゃぐちゃに乱れた私の形が整うのをじっと待ってくれていた。どろどろに煮詰まった本音を、受け止めてくれると頷いてくれた。真っ直ぐな瞳が、ただ静かに私だけを映してくれている。ああなんて、ひどい顔をしているのだろう。
「先生、私……怖いです」
 恐怖という感情を、今まで認めたことはなかった。お化けも、戦場も、死ぬことでさえも。認めてしまえば弱くなってしまう気がした。私は強くあらねばならない。立ち止まっている暇などないというのに、今はっきりと恐れを感じている。
「何も持たない私になることが、どうしようもなく怖い」
 今更になって紋章を無くすことが怖いなど、実におかしく甘えた考えである。しかし、今まで積み上げてきたものが紋章の上にあるのであれば、それを無くした私には一体何が残るのだろう。もし、何も残らないのであれば、私はどうやって立てば良いのだろう。私にはそれしか、信じられるものなどないというのに。
「君は、生まれた時から立って歩く子供だっただろうか」
 いきなり何を言っているのだろう、この人は。生まれた時から歩く赤子などいるはずがない。それとも私がそんなおかしな子供だったように見えたのだろうか。
 戸惑いを覚えながらいえ、と首を振ると先生は頷いた。当たり前だ、それとも私はそんな子供だったんですとでも言ってやれば良かったのか。釈然としないものを抱えながらも表に出せないのは、先生の表情が実に優しいものだったからだ。
「紋章は力を与えるだけで何も教えてはくれない。だから君は人一倍学んできた。君が培ってきたものは、毎日書物を捲って、修練を重ねてきた結果だ」
 紋章が真に万能であるならば、人は永遠に進化しない生き物になっていたのだろう。そうではないから私達は学び、赤子が這い、立ち上がるように進化する。
「できなくなることはきっとある。でも、君が学んできたことは君自身の財産だ。もし、紋章を無くすことで失うものがあったなら、一緒に学び直そう。君は誰よりも学ぶことが好きだから、取り戻すどころか追い越してしまうのだろうね」
 じっと私を見つめながら、先生はどこか楽しげにそう言った。生徒がこれからのことを真剣に悩んでいるというのに、随分と楽観し過ぎなのではないか。蟠るものはあれど、穏やかな色を湛えた優しい瞳を見ていると、不思議とどうにかなるような気がしてしまう。根拠などないのに、まあいいかなどと思えてしまう。
 いつも私達を後ろから見守ってくれていて、振り返れば真っ直ぐに目を見て話して、歩調を合わせて一緒に歩いてくれる。私は先生のそんな所が好きなのだ。
「私に残された時間が伸びるのかは分かりませんが……紋章を消そうと思います」
 紋章を消すことで身体への負担は消えども、一度変質したものが元に戻ることはない。だが、ほんの少しでもこの命に猶予が生まれるのであれば、それを自分のために、やりたいと思うことのために、使うことは許されるだろうか。
「先生。紋章を消したら──またこうして、私とお茶をしてくれますか?」
 先のない私は、ずっと今だけを考えて生きてきた。成すべきことを今成すために、人の数倍の努力を必死に積み重ねてただひたすら時間を圧縮し続けてきた。
 一度立ち止まってようやく、不器用な生き方だったと振り返ることができる。もっと上手な生き方があったのかもしれないが、ともすれば俯きそうになる顔を上向けるためにはそうするしかなかったとも思う。それに──先生が言うように、私は学ぶことがとても好きだ。だからこそ走り続けることができたのだろう。
 先生がゆっくりと、しかし確かに頷いてくれる。それだけで十分だった。
「約束ですからね、先生」
 未来のことを約束するのは少し怖い。未だこの命には先がないという諦念が付き纏っている。いつか、当たり前のように明日を夢見ることができるのだろうか。
 先生が茶器を用意して、茶葉に注ぐ湯を沸かす。私はとっておきの配合でお菓子を焼いて、器に沢山盛り付けるのだ。二人で卓を準備して、他愛ない話をする。眼裏に描いた未来は朧げであったが、ただ一つだけが、はっきりと見えていた。
 ──優しい瞳で私を見つめる、先生の姿が。