静寂と憂愁の寄る辺

FE風花雪月ディミレス

おかえり文化は日本人の感性なんですけど、彼にも帰るべき場所を見つけられるといいなという話
王都は郷愁であり守るべき場所であるので、実家ではなく自宅のような『帰る場所』を


「おかえり」
 纏わり付く言の葉が、実に鬱陶しいと思った。
 この身に帰る場所などない。あったとするならば、それは輝かしく愛おしかったあの王城だけだ。もしくは、炎の海の向こう、決して渡れぬ場所に佇む彼らの元なのだろう。このようなみ、停滞した場所などではない。
 他者のあるべき場所を勝手に定義するという行為の傲慢さ、その愚昧に気が付かない浅ましさ。それら全てが腹立たしい。
 夜半、大修道院の門を潜った先で、夜闇に溶けるようにその人物は立っていた。ただ押し付けがましい独善の言葉を投げかけるためだけに。その行為は実に無益だ。そんなことをしている暇があれば偵察を探して殺すことくらいできるはずだ。こんな所で立ち止まっている時間などないというのに、誰も彼もが実に呑気で反吐が出る。今この瞬間にも、あの女は罪の意識も抱かず生きているというのに。
 殺さなければならない。あの首を切り落とし、死者への手向けとするのだ。
 噛み締めた奥歯が鈍く軋み、眼底に力が篭る。いっそ潰れた方が清々しいとすら思う。自分が何も成さずのうのうと生きていることが疎ましい。
「君の分の食事を残してあるから冷めないうちに食べるといい」
 気が立っているところに尚も干渉を続けられて苛立ちが募る。しかし、ベレスは恐れも怯えも見せることなく、じっとこちらを見つめている。
 彼女の目は、嫌いだ。透き通った水鏡のように何の色にも染まらず、揺らぐことなく、ただそこにあるものを映し出す。醜怪な獣の姿がそこにある。今更薄汚い本性を取り繕うつもりもないが、その瞳に自分が映っているということにひどく忌避感があった。理由なく心がささくれ立ち、落ち着かなくなる。
「帰ってきてくれてよかった」
 その目から逃げるように黙って足を進め、ベレスとすれ違うその最中、再び投げかけられた無知蒙昧たる言葉の礫が幾つもぶつかり心を迫害する。『ここがお前の帰る場所なのだ』とさも当然のように決め付ける。胸の奥の柔らかい部分を身勝手に野蛮に踏み付けていく。それは俺以外が踏み入って良い場所ではない。
 不快を抱きつつ食堂を無視して自室に向かうと、それを見越したかのように机上に食事が用意されていた。嘲笑われているかのようで怒りが煽られ燃える。しかし生きていれば腹が減るのだ。その日、久し振りに温かい食べ物を口にした。



「おかえり」
 落陽と共に城門を潜るとかけられる声。揺らぐことのない双つの目が、静かにこちらを見つめていた。相変わらず、この目に見られることは落ち着かないと思う。それは己が姿を暴かれ識られることへの恐怖や忌避感というよりも、自分の行いの責任や正しさを審問されることへの緊張がほど近い。
 自分は彼らに恥じない生き方をできているだろうか。生かしてもらった命を正しく使えているだろうか。答えのない問いではあるが、考えずにはいられない。
「お別れはできた?」
 玲瓏たる声音が問いかける。それは未だ区切りを付けられずにいるこの心を見透かしたものなのかもしれない。これはこの身が一生抱えるべき罪であり傷だ。
「……ああ」
 今日、ロドリグの葬儀が正式に執り行われた。フラルダリウス領に建てられた墓石に刻まれた、父のように慕った人の名。その命を以て、命の使い方を教えてくれた人。葬儀自体はガルグ=マクで亡骸を葬った際に行われてはいたが、こうして当事者になってようやく葬儀とは遺された者のために行うのだと思い知る。
 葬儀を終えてそこから動けなくなった自分を、皆が独り残してくれた。フェリクスこそが最も深い嘆きを抱いていただろうに、黙って墓所を去っていったのだ。フラルダリウスには空の墓を二つも作ってしまった。フェリクスには俺を殺す権利がある。だが、そうしないのは彼の持つ強さで、この身が持ち得ないものだ。
 だからこそ、自分は割り切ることができない。死者を想わずにはいられない。たとえそれが弱さであったとしても、決して捨てることができないものなのだ。墓所を後にしたのは、皆が去ってから随分と後のことだった。
「帰ってきてくれてよかった」
 いつかに同じ言葉をかけられたことがある。あの時は自分の内側に踏み入るべレスの行為がただ煩わしくて堪らなかった。帰る場所などどこにもないし、必要ないと思っていた。しかし、こうして自分の足で歩き出して気付いたことがある。
 帰る場所があるからこそ、それを支えに進み続けることができるのだと。そしてベレスは、ずっと帰るべき標であろうとしてくれたのだということを。弱く脆い心であろうとも、守るべきもののため強くあろうとすることはできるのだ。
「ああ──ただいま」