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ガルグ=マク大修道院の城郭から見下ろす地平は、遥か遠くまでよく見える。それはまるで美しい景観を余すことなく堪能できる展望台、或いは三国の動向をつぶさに監視できる物見台のようであった。
山に住まう風は軽やかに駆け抜け、戯れるように頬をするりと撫でていく。茜色に焦げた空には夕陽が激しく燃え上がり、その日の命を終えようとしていた。いのちの火を受けて眩く輝く金色が、ベレスはとても好きだった。
彼方を見つめる横顔に、ほんのりと影が落ちていく。その様子がどこか物憂げに見えて、ベレスは緩やかな足取りで近付くと声をかけた。
「緊張しているの?」
己に向けられた言葉に、ディミトリはゆるりと顔を向ける。晴れ渡る蒼穹を閉じ込めた瞳は、かつては一対のものであった。双つの輝きは永遠に失われてしまったが、その美しさが損なわれることは決してない。
やや目を伏せると、ディミトリは再び遥か遠い地平の果てを見遣る。その先にあるものを見つめる。落ちゆく陽の光が鏡のように映り込み、瞳子の中でゆらゆらと揺れている。混じり合う色は夜と朝のあわいのような不思議な色をしていた。
「そうかもしれない」
ほんの少しだけ眉を下げて、うっすらと彼は口元を緩めた。どこか儚く寂しげな表情は、明日には荘厳で勇敢なものへと変わるのだろう。だから今は、その頼りない思いの寄る辺になりたいと思う。ただ傍で寄り添う木陰のように、彼が冷たい雨を凌げる場所でありたいと思うのだ。
緊張など、しないはずがない。
明日はいよいよフェルディアへと進軍を開始する。大いなる一歩を踏み出せば、もう戻ることは許されない。ディミトリの進むべき道が完全に定まり、これからは立ち止まることなく進んでいくこととなる。不安にならないはずがないのだ。
「大丈夫。必ず取り戻せる」
フェルディアの奪還は皆の悲願であった。苦しむ民を救い、愛すべき故郷を取り戻すための戦いである。だからこそ、ベレスもできる限りの手を尽くす気だ。
そんなベレスをディミトリはやはりどこか不安げに見つめていた。そこにあるのは恐れというよりも戸惑いの色がほど近い。己自身にではなくベレスに対して抱くその情は、少しずつ膨らんでいき、やがて口から溢れるように零れ落ちた。
「……ずっと、聞きたいと思っていた。お前はどうして戦っているんだ」
言葉の意味が分かりかねた。戦いは自分が生きるために繰り返してきた行為である。そうあるように育てられた訳でも、それしか生き方を知らない訳でもない。ただ、やりたいことをやろうとした時、戦場に身を置く必要があっただけだ。
ベレスの様子に言いたいことが伝わっていないと理解したのだろう。一度瞑目すると、ゆらぎを伴った弱々しい眼差しと共にディミトリは言葉を重ねた。
「すまない、言い方が悪かった。先生は、何のために戦っているんだ。俺達は国を取り戻すためだが、先生にとっては関係のないことだ。俺は今までさんざん酷いことも……やってきた。なのにどうしてここまで付き合ってくれるんだ」
問いかけの意味を潔く理解する。それは彼自身が抱いてきた疑問であると同時に、ファーガスの長として覚悟のほどを問うていた。この先に進めば戻れないのはベレスもまた同じであり、何のためにという問いは至極当然のものであった。
何のために、と聞かれると、そうしたかったからだとしか言いようがない。しかし、そこにあえて理由を付けるのだとしたら──
「学級対抗戦の後、君が祝勝会に呼んでくれたからかな」
人と関わらず生きてきたベレスを、人の輪へ連れ出した。加わって良いのか迷うベレスに、それは当たり前だと、喜びを分かち合いたいのだと言ってくれた。
今まで告げたことはなかったが、それがとても嬉しかったのだ。その日、自分はとても眩しくて美しいものを見た。それからは、ずっとその光を追っている。
「そんな、それは……」
ディミトリが言い淀む。戸惑いは分かるが、それは揺るぎない事実なのだ。
「君にとっては取るに足らない出来事だっただろう。それでもあの日、私は嬉しかった。眩しいものを見た。君の──君達の、支えになりたいと思ったんだ」
隣を見上げる。時に翳ることはあれど、決して失われない輝きがそこにある。ディミトリは真っ直ぐにベレスを見つめながら、和やかに相好を崩した。暗雲が晴れ、温かな昼下がりを迎えたかのような、実に穏やかな笑みであった。
「そうか。ありがとう、先生」
「こちらこそありがとう。ふふ、ようやくお礼が言えた」
互いに礼を告げて笑い合う。顔を見合わせ、眩しいものを見つめている。長く伸びた影が、宵闇に少しずつ溶けていく。遥かな空には遠く一番星が瞬いていた。