ひみつのあわい

メルクストーリア

 今日は衣装合わせの日だ。華美な衣装で身を包むことには随分と慣れたが、今回のものは一段とこだわって作られているのがよく分かる。真新しいシャツに袖を通し、姿見の前で襟を正す。そこには少し緊張した面持ちをした自分の姿があった。正直に言って、不思議な気分だ。こうして婚礼に向けて、セレナと同じ意匠の礼装を纏っているということが。これが都合のいい夢だと言われれば信じてしまいそうなほどに。
 ふと、セレナは本当にそこにいるのだろうかという考えが密やかに湧き上がる。頭を擡げた微かな不安に、歌姫の居室へそろりと向かった。
 臆病なものだと思う。だが、どうしようもない。セレナの隣に立つために、手は尽くしてきたつもりだ。しかし、心根はあの日彼女に突き放された時の自分と変わりないのだ。そんな自分を彼女は好きだと言ってくれた。涙に濡れた情けない顔で、恥も外聞も投げ捨てて。その姿は自分だけのものだという確かな思いが、この身に矜持を与えてくれる。セレナは自分にはない力を引き出してくれる存在であった。彼女がいなければ、歌壇に立つことなど永劫なかったのだろう。
 既に何度か訪ったことのあるドアを軽く数回叩き、入室の伺いを立てる。いつもは玲瓏たる声音がすぐに返ってくるのだが、今日はうんともすんとも反応がない。
「セレナ?」
 不審に思ってその名を呼ぶ。しかし一向に返ってくるものはなく、にわかに胸が騒ぎ始める。もしかすると部屋を空けているのかもしれない。そう自身が宥めるが、衣装合わせを控えた状況で一体どこに行くというのだろう。胡乱な思いは焦燥へと変わっていき、入室する旨を告げてドアノブを回した──その時であった。
「お待ちになって!!」
 自分以上に焦りを孕んだ声が強い調子で静止を訴えかけたが、遅かった。開かれたドアの向こうには、見覚えのある部屋が広がっていた。その一角、ソファの陰に隠れるようにセレナは蹲っていた。
「どうしたんだい、セレナ」
 気分でも悪くなったのだろうかと慌てて駆け寄ったが、どうも違うらしい。彼女は顔を一気に赤く染めると、しきりに胸元を隠している。理由はすぐに彼女の口から語られた。
「衣装が……その、胸元が……きつくて……」
 それだけ告げると彼女はうなじまで真っ赤にして俯いた。成程、返事がなかったのは彼女が衣装と格闘中であったためらしい。
 衣装はセレナの羽の美しさを引き立てる色合いでありながら、自らが纏うものと同じモチーフに仕上げてある。それは自分と彼女が一緒になるのだという表明の意であり、どこかくすぐったく面映い気持ちになった。
 しかしそうも言ってはいられない。衣装が着られないとなれば彼女の顔が立たなくなってしまう。どうしたものかと考えていると、背中の部分が編み上げになっていることに気が付いた。
「ひゃ!?」
 結び目を解くと、驚きにセレナが小さく悲鳴を上げた。合わせ目を緩めれば、ぴったりと閉じられた生地の間から、日に焼けていない白い素肌が現れる。
「な、ななな何をしているんですの」
「こうすれば苦しくないかと思ったんだけれど……どうだい?」
 狼狽しきったセレナの問いに答えながら、解いていた結び目を元に戻す。胴周りの幅が広がった分、ゆとりができたはずだ。セレナが胸元を覆っていた手を外して立ち上がると、ドレスはぴったりと彼女の体の稜線に沿っていた。
「ええ、これなら苦しくありませんわ!」
 セレナは晴れやかに笑って見せると、その場でくるりと華麗に回ってみせた。着用に問題はなくなったのだが、しかしここで別の問題が発生してしまう。本来はしっかりと品良く着ているものを着崩すと、妙に艶めかしく見えるのは何故なのだろう。
「……やっぱり仕立て直してもらおう。猫族に腕のいい仕立て屋がいたはずだから」
 自身が着ていた上着を着せると、セレナは不思議そうに首を傾げる。
「あら、どうしてですの?」
「……他の誰かに見せたくないなと思って」
 やはり彼女はよく分かっていない様子であったが、異論を唱えることはなかった。
 やはりセレナのことになると、今まで知らなかった自分に気付くのだ。それは決して不快ではないのだが、なんとなく照れ臭いので彼女には内緒にしておこう。