ゆびさきにメロウ

FGOベディぐだ

 クッキーを焼いた。バターをたっぷり入れて、口の中で軽やかに砕けていく食感のものを。シンプルに焼き上げたスコーンにはジャムとクロテッドクリームを付けることも忘れない。幾つかの種類の具材でサンドイッチを作って添えて、彩りも兼ねてフルーツを置いた。ティースタンドはまるで宝石箱のようだ。
 普段は飾らない花を分けてもらって花瓶に生ける。それだけで、いつもと変わらないはずの自室が別空間になるのだから不思議だ。ほんのりと、それでも確かに心が弾むのを感じながら、少しお洒落な服を身に纏う。本日の予定をどこから聞きつけて来た人達が薄らと化粧を施してくれると、気分はすっかりお姫様だ。
 クッキーを数枚摘んで出て行った姿を見送って、来訪者を待つ。メッセージカードに記載した時間はもうすぐだ。妙に落ち着かない気分でいると、日時は正しかっただろうか、そもそも来てくれるだろうか、自分の格好はおかしくないだろうか、レシピ通りに作れているだろうかなどと様々な懸念が浮かび上がる。その根幹にあるのは、これから過ごすであろうひと時への強い期待であった。
 時間ぴったりに、インターホンの音が来訪を告げる。弾かれるように立ち上がると、まるで主人の帰宅を出迎える犬のような気持ちで立香はドアへと向かった。
「ようこそお茶会へ!」
 開いたドアの先に立っていた人物は、少し驚いた様子で目を瞠ると、やがて穏やかに破顔した。
「お招きに預かり光栄です、マスター」
 柔らかな声が耳朶を操る。立香は胸に満ちていく温かなものを感じながら、今までの準備はこのためにあったのだと噛み締め朗らかに笑う。
 入室を促し、お客様である彼を本日の特等席へとご案内する。ケトルに勢いよく水を注ぎ、新鮮な空気をたっぷり含ませたそれを火にかけた。その間に茶葉の缶を開けて、匙をそっと差し入れる。
 茶葉に種類があることすら知らなかった立香だったが、今や抽出時間さえも熟知している。好きこそものの上手なれとは言うが、この場合の『好き』の対象とは何を指すべきか。きっと彼に出会わなければ茶葉に種類があることすら知らずに一生を終えていたのだろう。
 本日の茶葉はとっておきのダージリンファーストフラッシュだ。物資が制限される中、どうにか頼み込んで手に入れて貰った正に秘蔵の品である。初めて封を切ったその香りに心躍らせながら、湯を注いだポットと茶器をトレーに乗せてテーブルに置く。率先してその役目を務めそうな人物は、椅子に座して立香をじっと待っていた。今日はお客様として招いているのだから、一切手伝わないよう厳命した結果である。
 茶漉しを添えてポットを傾けると、美しい琥珀色の水色が姿を現す。二人分のカップを満たしてから、召し上がれと立香は茶を促した。
「いただきます」
 カップから立ち上る香を楽しんで、紅茶に口を付ける姿を立香はじっと見つめていた。胸の内は風に煽られる木々の如くざわめいている。こうも見つめられては落ち着かないであろうことは分かっていたが、気になるものは仕方がない。ゆっくりと時間をかけてその一口を嚥下すると、立香の茶の師匠は口を開いた。
「とても美味しいです」
 お上手になりましたねと微笑む姿に、立香は飛び上がらんばかりに喜んだ。彼と茶の楽しみを分け合い、淹れ方を教わった身としてはこの上ない賛辞であった。
 嬉しさに心弾ませながら茶を啜る。美味しい。だが、どこか違うような気がする。何が、という部分が形容し難いのだが、何かが違うのだ。
 そのことを告げると、私が淹れても同じ味になりますよ、と彼が相好を崩す。信じられないという気持ちを抱えつつも、二人だけの茶会が始まる。茶請けは全て立香の手作りだった。そうしたいと、誰に言われるでもなく思ったのだ。
 何でもない雑談に花を咲かせながら、ああこの時のために今までがあったのだと実感する。この時間がずっと続くようにと切望する気持ちが湧き上がる。
「いつもありがとう、ベディヴィエール」
 この時間が、いつ崩れるとも知れぬ平穏の上にあると知っているからこそ、立香は何でもないこの瞬間にいつでも告げられる感謝を口にする。
「お礼を言うのはこちらの方です。マスター、貴女には感謝が尽きないのです」
 互いに笑い合いながら、菓子をつまんでは他愛のない話をする。幸せだと漠然と感じるこの時が、かけがえなく愛おしい。
 空になったポットを、今度はベディヴィエールが満たした。注がれた紅茶に口を付けると、同じ茶葉と水を使っているのにどこか優しい味がする。
 ああこの味だと胸に満ちていく幸福に立香は和やかに目を細めた。