手の中の井戸

FE風花雪月その他

意味はあるけどわざわざ書くほどでもないので省いた蛇足
レオニーが短刀を渡したのは平民が貴族の私物をおいそれと触れる訳がないだろ!という気遣い


 陽が傾ぎゆく林道を歩く。落葉を刷いた土は踏み締める度に乾いた音を立てた。深まる季節は瞬く間に夜を運び、辺りを暗い帳の内に閉じ込めてしまう。ずっしりと質量を纏った木箱を抱え直して、ディミトリは裸の木々を仰いだ。
「陽が落ちる前には着きそうだが……皆腹を空かせてるだろうし、少し急ぐか」
 隣でクロードが麻袋の紐を肩に掛け直し、歩調を早める。頷き、速度を上げた。
 麻袋の中身は食料である。干し肉や根菜、そしてパンと、様々な食材がみっしりと詰め込まれている。ディミトリが抱える木箱の中身もまたいくつもの麻袋であり、それらは大勢の腹を満たすべく本日の夕食となるはずのものであった。
 話は少し前へと遡る。課外活動として学級合同の野営実習が開催され、偵察・先陣・本隊・後陣の四部隊に分かれて目的地へと向かうこととなった。実習とはいえそれほど厳密なものではなく、あくまで編隊や進軍の基礎をおおまかに体験するためのものに過ぎない。各々の役割も全て籤で決められ、結果としてディミトリとクロードは共に補給部隊として後陣に配列されることとなったのである。
 野営地は王国領付近の平野に設定されており、生徒達で進路と予定を決めて進んでいく。行程は順調であったのだが、道中で食糧を積んでいた荷車の車輪が外れてしまい、行軍が困難になってしまった。伝令役に報告を託して補修にあたったものの、軸の割れはどうにもできず、荷車を放棄して今に至る。出立前に軍備を確認すべしというごく当然の気付きを、文字通り身を以て学んだという訳だ。
「……クロード、気付いているか」
 ディミトリが低く問い、クロードが無言で首肯する。ひりつくような緊張感が二人の間を駆け巡り、共通の意識が背後へ向けられる。──つけられている、と。
 先程からずっと、二人のものに混じって誰のものでもない足音がしていた。足音を忍ばせようともしないのは、その方法を知らぬからであるか、それともあえて知らせているのかは分かりかねた。視線を送り、示し合わせると、二人は荷を置き振り返る。相手によってはどちらかが急ぎ野営地へと走らねばなるまい。
 そんな懸念とは裏腹に、立っていたのは一人の少年であった。痩せた体に着古しのぼろを纏う姿からは活力など微塵も感じられない。慌てて警戒を解く二人を円い目が見上げていた。湛える虚ろな色は、幼子には似つかわしくないものである。不可解なものを覚えつつ、ディミトリは少年の前へと進み出て身を屈めた。
「迷ったのか? 一人でこんな場所を歩いては危ないぞ」
「貴族様を見付けて追いかけてきました。貴族様、どうか食べ物をお恵み下さい。今年は村の畑が成らなかったのです」
 金の秀眉が微かに跳ねる。それは他者へ物を乞う行いに対する侮蔑ではなく、年端も行かぬ子供まで飢えさせているという事実への憤りであった。険を孕んだ眼光を瞬き一つのうちに隠し、ディミトリは置いていた木箱へと手を伸ばした。
「やめとけ」
 その行いをクロードが短く制止する。底の知れない瞳が静かに見下ろしていた。
「俺の分を渡すだけだ。皆の物には手を付けない」
 ディミトリとてこの行いが根本的な解決にはならないと知っている。だが、困窮する者を前にして捨て置くことなどどうしてもできなかったのだ。しかし、クロードはそうじゃないと首を振る。重圧を伴った声音が軽妙な口調で問いかけた。
「今日は貰った食い物で凌げるだろうが、明日はどうする。村にはまだ腹を空かせた奴らがいるんだろう。そいつらの面倒まで見切れるのか?」
 手を差し伸べる行為に伴う責を、お前は背負えるのか。言外に問われ、ディミトリは窮した。その問いに対する明確な答えを持ち合わせていなかったからだ。
 ディミトリが地位を持たぬ平民であれば、他者を助ける善き行いであったのだろう。しかし、ディミトリは王家の末裔であり、ファーガスという国家を統べる者である。王という機構は、全てを平等に見下ろさねばならない。正しきを行い、特別を作ってはならない。いっとう高い玉座は民草を見渡すためにあるのだから。
 今の自分に誰かを救う力はないと、ディミトリ自身痛いほど理解していた。だからこそ、自らの食糧を差し出したのだ。それは己が内に巣食う罪悪感からの逃避に他ならない。力持たぬ者が誰かを救おうなど、愚かしい傲慢でしかなかった。
 自国の統治でさえ儘ならないファーガスに、国外へ割ける余力などありはしない。王国領付近の状況として伝え、教会へ支援を提言する程度が関の山だろう。とは言えども、寄進で成り立っている教会にそこまで多くの支援を求められないことも事実である。村一つが冬を越し、大樹の実りを得られるまでには相当数の食料が必要だ。教会で賄えるのは一部に過ぎず、全てを施すことはできない。
 施しを受けられないと悟ったのか、少年は踵を返し走り去っていく。止める言葉を持たないディミトリは、遠ざかる小さな背中を黙って見つめることしかできない。これが現実だ。理解はしていても、納得することはできそうになかった。



「狩りへ行かないか?」
 沈殿し、堆積していく澱のような、重苦しい思いを抱えたまま実習を終え、暫くした頃にクロードは唐突にディミトリを呼び止めた。クロードがこういった個人的な予定に誘ってくることは珍しい。何か意図があるのではないかと勘繰ってしまう部分はあれど、急ぎの予定もないので頷くことにする。少し気分転換をしたいと思っていたところだったので、クロードの誘いは丁度良かった。
 実習を終えてからも、ディミトリはあの子供のことが気にかかっていた。何かできることがあるのではと考えたものの、やはり食糧の調達が課題となる。半端な施しは不満と争いを生む。だが、満たせば今度は満たされないことが不満となる。人間とはそういうものだ。それでも、苦しむ者を見捨てることはできない。
 泥沼に溺れていることは分かっていた。自らの手に抱え切れないと知っていながら、手放すことができないものの重みで沈んでいくのだ。理解していながらも離すことができないのは、切り捨てることができない己が心の弱さに他ならない。
 上に立つ者の資質とは、正しきを考え、行使し、そのために何かを切り捨てられることなのだろう。青臭い理想論など意味はないと知りながら、拘泥している。
 晴れぬ暗雲が立ち込める胸中のまま支度を終えて、玄関ホールへ向かうとクロードの他にもう一人の姿が見えた。短く切り揃えられた髪が快活さを感じさせる少女──レオニーである。クロードと二人だとばかり考えていたディミトリは完全に虚を衝かれてしまう。互いに予見していなかった事態であるのか、瞠られた二つの目がぶつかる。その狭間ではクロードが悠々と弦の張りを確かめていた。
「すまない、待たせたな」
「いや、俺もレオニーも今来たところだよ。気にするな」
 軽快な調子で告げるクロードに頷きながら、レオニーは床に置いていた矢筒を持ち上げ肩に掛ける。詰め込まれた矢が動き、がらりと乾いた音を立てた。
「これで全員か?なら早く行こう」
 正門へ向かおうとするレオニーの装いは随分と重たげだ。長縄に括り罠、籠に麻袋といくつもの道具を革の掛け紐に連ねており、腰には短刀を提げている。狩りに行くにしては物々しく、対するクロードとディミトリは最低限の軽装である。
「随分と重そうだな、俺も持とう」
 一人だけが大荷物を抱えている状況が忍びなく思えて、ディミトリは思わず声をかけていた。しかしレオニーは首を振ってその提案を辞する。
「これ位どうってことないよ。それに──これが持てなくなったら、もう自分の力で生きていけないってことだ。そういうもんだよ」
 市街から離れた村邑では、狩猟や農耕、畜産を生業として生きている。生きるための糧を得て、市街へ卸して物を買う。そうして循環している生命は、少しずつ環から零れ落ちていく。自らの腕で仕事道具を支えることは、彼らにとっての矜持であるのかもしれない。思い至り、ディミトリは差し出した手を引いた。
 修道院の門を通り、ガルグ=マクの街を抜ける。そこから暫く歩いても、クロードの足が止まることはなかった。迷ったという様子でもなく足取りは確たるもので、どこかへ向かおうとしている明確な意志を感じる。
「随分と遠くまで出るんだな」
「ああ、少し行きたいところがあってな」
 ディミトリの問いに対してクロードは口元に弧を描きながら答える。その表情がやけに楽しそうなことが気になったが、やがて足を踏み入れた林道の光景に疑問は氷解した。先日行われた野営実習と全く同じ道程を歩んでいたからである。
 以前通った道から逸れて暫く進むと、木々の姿はまばらになってゆき、しっかりと舗装された歩道が姿を現す。人の往来がある──村落が近い証拠だ。舗装路を辿って行けば、並び立つ家屋と柵で仕切られた畑が目に入った。
 通年通りであれば、収穫祭と共に冬を越すための準備で忙しくしている頃だ。しかし、歩を進めど活気はなく、村は閑散として物悲しい空気を纏っている。不作だったという話は本当なのだろう。逼迫する状況を伝えるように、家畜小屋の前では家畜の処分が話し合われていた。屠殺すれば当面の食糧は潤うが、それだけだ。家畜も肉となっては何も生み出さない。より状況が苦しくなると分かっていても、やらねばならない時が来る。その日を生きるために未来を犠牲にする。
「おや、お客様ですか? 生憎お出しできる物がないもので……」
 部外者の来訪に気付いた村民が眉を下げる。当然だ。生きるため必死に頭を悩ませている中で、余所者に割ける余裕などない。しかしクロードは笑った。余裕綽々として腹の底を見せない、人を纏め上げる者の笑みだ。
「俺達はこの近くへ狩りをしに来たんだ。そうしたら村が見えたもんだから、一緒にどうかと思ってね。案内して貰えると助かるんだが──」
 ちらりとクロードが視線を寄越す。その意図を余さず理解し、この道化め、と内心やや呆れながらもディミトリはクロードの期待通りに口を開いた。
「勿論、方法はお教えします。食糧にお困りのようなので、力になれればと」
「必要な物も教えるよ。道具は作り方を覚えれば簡単だ」
 一見朗らかな青年による状況説明と囲い込み、そこに混じる胡乱さを折目正しい青年の態度が溶かしていく。そうして明らかにその道に長けているであろう少女が二人の発言を支える。最初は突如として現れた謎の一行を奇異の目で見ていた村民達も、少しずつ態度を変えていった。何よりも、彼らが食糧に困窮しているという事実が最大の後押しであった。たとえ罠を張った甘言であっても、食糧を欲している彼らにとっては頷く以外の選択肢が残されていなかったのだから。
 家畜小屋の前には事態を聞き付けた人々が何事かと集っていく。後ろの方からひょこりと顔を出したのは、あの日出会った少年である。円い瞳が見開かれると同時に、クロードは密やかに口元に指を立てて少年の口に蓋をした。今ここに立っているのはあくまで士官学校の生徒の一員であり、次代の首長ではない。それを理解したのかは定かでないが、少年は何も発することなくじっとしている。
「じゃあ、日が高いうちに狩るとするか」
 まるで呼び鈴を鳴らしたかのように、クロードの声へ村民の中から有志が集う。村の意思は纏まったようで、素人を引き連れての狩りが始まったのだった。
 弓や網、槍を使っての囲い込みといった猟は難しく、教えたところですぐに覚えられるようなものではない。獲れる数は落ちるが比較的技術を必要としない罠猟を基本として、動物ごとの習性や有効な罠、そしてその使い方を教えていく。クロードから事前にやることは聞いていたのだろう、レオニーは手際良く罠を組み立てながら、村民達へ作り方や注意点を解説していた。馴染みのない作業に苦戦しながらも、村民は真剣な面持ちで話を聞きながら罠作りに取り組んでいる。
 聞けば、彼らは作物を交易に出したり、市に卸して金に替えることでその他の物資を賄ってきたらしい。狩猟の方法を知っている者もいるが、あくまで害獣の対処に留まっている。そんな状況で大規模な不作ともなれば、当然村が立ち行かなくなる訳だ。村を支援しようと市街へ出稼ぎに行った者もいるが、荒廃しつつある王国では職に就くことすら難しく、苦境が続いているらしい。嘆く村民へ同調し、静かに頷きながら、ディミトリは力を持たぬ己が手を固く握り締めていた。
 仕掛けた罠には早速鹿が一匹かかっていた。こんなにも早く成果が挙がることは稀であるが、罠の外し方と肉の捌き方を実際に見せられることは大きい。罠は少年が仕掛けたものらしく、目を輝かせて喜んでいる。本来の目的など忘れているのだろう。そのことに申し訳ない思いを覚えながらもディミトリは告げた。
「まず、頭を殴って気絶させます」
 思い切りいかないと駄目だぞとレオニーが補足する。その時点で村民達の顔色が変わっていくのが分かった。命を食らうという本質を、ようやく理解したのだ。
 誰もがその行為を忌避していた。やりたくない、と言葉にせずとも空気で伝わる。今まで知らなかったが故の身勝手な思惟に、レオニーが微かに眉を顰める。だが、これからは彼らとて知らないままではいられないのだ。誰がやるんだ? と問いかけるクロードの無慈悲な声音は氷塊となって村民達の背を滑り落ちる。
 小波のような動揺が静かに広がっていく中、少年が黙って前へと進み出た。自らの行いに責任を持とうとしているのだ。ディミトリは近くの木から腕ほどの太さの枝を切り落とし、少年へと手渡す。様々な思考が渦巻いているのだろう、表情は強張り、視線は落ち着きなく彷徨ってはいたが、枝を受け取る手の力は確かであった。これから奪われる命は、澄んだ目で少年をじっと見つめている。
 落ち着かない呼吸を無理やり押し込め、少年は枝を振り上げた。しかし、生き物を殺すという行為への恐れ、怯え、そして躊躇いは、少年の手から力を奪う。結果、振り下ろされた一撃は決まりきらない覚悟のように中途半端で、鹿を気絶させるに至らず何の意味もない加害へと成り果てた。与えられた苦痛に逃げ出すこともできず、甲高い鳴き声を上げてもがく鹿の姿に、少年は自身の過ちを理解する。
「最初は皆そんなものだ」
 何の躊躇いもなく命を奪える人間などそういない。それができるのは、きっと何かが欠けてしまった人間なのだとディミトリは考えている。少年の隣に屈み、怯えを孕んだ瞳を覗き込む。できるかと問いかければ、少年は静かに頷いた。再び張り上げられた枝が、掛け声と共に確かな力を伴って振り下ろされる。
 鈍く重い音と共に、鹿はぴくりとも動かなくなった。やっと終わったのだという安堵の息が周囲から漏れるが、今の行為はこれから行うことの前処置に過ぎない。ここにある獣の体はまだ温かく、心臓が確かに動いているのだから。
「次に、首を切って血抜きをします。心臓を突き破る方法でも構いません」
 心臓の上を切ることで効率良く血抜きができるが、慣れぬうちから狙って切ることは難しい。心臓を突かせた方が良いだろうと判断し、提げていた短刀を抜こうとした時、レオニーが自らの短刀を少年へと手渡した。
 丁寧に磨かれた刀身は、使い込まれていながらも曇り一つない。そこに自身の顔を映しながら、少年は心臓目がけて刃を構えた。命を奪う覚悟は決まったようだ。ここだとディミトリが指し示せば、迷いのない力で皮が突き破られる。
 刃を引く。途端に噴出する鮮血が、落ち葉の絨毯を色濃く濡らしていく。誰もが命の終わりを実感していた。死んだのだと確かめずとも分かる。命を繋ぐため、命を奪った。よくやったな、と頭を撫でてやる。少年は動かぬ鹿を見つめていた。
「さあここからは時間との戦いだ!早いとこ吊って腑を出さないと痛んじまう」
 暗くなりがちな状況を打破するのは、クロードの得意とするところだ。クロード自身があまり陰鬱とした空気を好まないためであるからかもしれない。何より、クロードには求心力がある。何となく、彼について行けばどうにかなるといった、漠然とした安心と信頼を抱いてしまう。だからこそ、クロードの周囲は明るく朗らかでいられるのだろうとディミトリは改めて感じていた。
 少々型破りな面はあれど、皆の期待に応えるに足る素養をクロードが備えていることは当然知っている。指導者とはこうあるべきなのだろうとも思う。幼さ故に王位を継げぬ身であるが、慣習を廃し即位したとして、こうも真っ直ぐに人を導くことなどできるだろうか。村一つ、民一人救うことすらできぬこの身が。
 重い鹿の体を村民達が手分けして運んでいく。未だ気後れする部分があるからか、恐々といった様子ではあるが彼らも当事者となることを決めたようだ。近くの水辺で泥や虫を落とし、腑を出してすっかりと軽くなった獣の骸に縄を掛けて吊り上げる。釦を外して衣服を脱がせていくように、皮と肉のあわいに短刀の刃を入れて皮を丁寧に剥いでいけば、するすると丸裸になって赤い肉を晒していた。
「どうした?随分と浮かない顔をしてるじゃないか」
 レオニー主導の下で村民達が肉を切り分けていく様を見守りながら、石を組んで焼き場を作っていると、いくつかの木片を抱えたクロードが声をかけてくる。内に渦巻く苦い思いを吐き出そうか迷って、ディミトリは口を開いた。好奇心の塊のような男には隠すだけ無駄だろうという思いと、次代の盟主という似た立場を持つ人物に話を聞いて欲しい思いがあったからだ。
「クロード、お前には感謝している。俺では……悩むばかりで何もできなかっただろう。俺の方から踏み込んだというのに、全く情けない話だ」
 無責任に食糧を与えようとしたことを嗜められたばかりか、村の食糧問題解決の一手ですらクロードに頼らねば打ち出すことができなかった。自分が無意味に悩んでいる間にも、クロードは村の状況と置かれている環境を調べ上げていたに違いない。だからこそ、狩猟を教えるという方法に行き着いたのだ。他者に縋るばかりで何も成し得ない己の浅薄さに、ディミトリは忸怩たる思いで一杯だった。
「真面目なのは良いが、一人で背負い込みすぎるのがお前の悪いところだな」
 語り口の軽快さは崩さぬまま、クロードはディミトリの内面へと踏み込んだ。まるで世間話でもするかのような気安さであるが、放たれる言葉に軽薄さはなく確かな重みを伴って届く。他人との距離の取り方が恐ろしいまでに巧いのだろう。
「一人ができることなんて限られたもんだ。できないことはさっさと割り切って、周りを巻き込んじまえばいい。現に俺がそうしてるだろう?」
 言いながら、クロードはレオニーを見遣る。確かに、今回の計画にレオニーは適任であっただろう。村で自給自足の生活を送ってきた彼女は、経験に根差した的確な助言を行うことができる。何より彼女は面倒見が良い。
「……それに対して自分はどうだ、って顔だな」
 ディミトリの沈んだ考えをクロードはぴたりと言い当てた。自分の腹は見せず、それでも周囲の様子はつぶさに観察している。食えない男だと思うと同時に、そういう部分がこの男に寄せられる根拠のない信頼へ繋がるのだろうかとディミトリは考える。向けられる双眸は真っ直ぐではあるが、相変わらず底が知れない。
「言っとくが、俺はお前がいなかったらここまで動いてなかったぞ? 不憫だとは思うが、国外の村に手出しする理由がない。だが──誰かさんがいやに深刻そうな顔をしてるもんだから、学友として少しばかり助けてやりたくなっただけさ」
 結局のところ助けられているという事実は変わらないのだが、これがクロードの言う周りを巻き込むということなのだろうか。考えてみるものの、ディミトリの中に折り重なるばつの悪さはやはり消えない。その思いがどこから来るのものなのか、ディミトリ自身も漠然と理解していた。何も成せない自分が許せないのだ。何も救えず、今この瞬間ものうのうと生き延びている自分が許せない。
 積み上げた組石の内側へ、クロードは抱えていた木片をがらりと落として火をつけた。赤々とした炎は木片を飲み込んで燃え上がり、ただ静かに揺れている。その様を二人で見つめていると、クロードが口を開いた。
「損得勘定を捨てられるのはお前の持つ資質なんだろうな。俺にはできん考えだ。だからこそ、他人をより身近に感じることができるし、助けねばと背追い込む。だが、お前も人間だ。そろそろ他人を頼ることを覚えた方がいいぞ?」
「いや、むしろ俺は助けられてばかりいると思うが……」
 顎に手をやるディミトリに、クロードは手遅れだとばかりに首を振った。時を同じくして、鹿の解体を終えたレオニーから手伝いを求める声がかかる。
「まあいつか、俺も頼らせて貰うことにするさ。それに──今回の件はお前にしかできないことがまだ残ってるしな」
 お前にしかできないことという言葉に引っ掛かりを覚えつつ、ディミトリはクロードに続いて歩き出す。吊るし台には首を残して骨だけになった鹿が括られていた。縄を外し、焼き場へ運んで火にくべると、爆ぜた火の粉が骸を喰らう。
 煌々と燃える火が過去へと誘う。心は今も、あの地獄に。『この身にしかできぬこと』を必ず成すのだ。揺らめく炎を見つめ、そしてディミトリは背を向けた。



 一通り狩猟の方法を教え終えて、ディミトリ達はようやく村民達と別れることにした。鹿肉を抱えた村民達は恐縮しきった様子で深々と頭を下げる。
「何かお礼を差し上げたいところなのですが、お渡しできる物が何もなく……」
 困窮する村から物など貰えようはずもない。元より見返りが欲しくて行った行為ではないのだ。謝礼については丁重に辞したが、何かを返したい思いは理解できるので、そんな彼らの心の負担を減らすべくディミトリは言葉を付け加えた。
「私達はガルグ=マクに住まう一員として奉仕活動を行ったに過ぎません。また豊かな実りが戻った時に、修道院へ納めて頂ければ」
 自身の立場表明も兼ねているのだが、そこは村民達に関係のない話である。次期首長としては動けないので士官学校の生徒としての身分を借りたに過ぎないが、ファーガス神聖王国の王子としてはどの面を下げて来たのだという状況だ。彼らの貧困には自国も大いに関係しているのだろう。何もできないこの身が恨めしい。
 白々しい言葉を吐いていることに嫌悪を覚えながら、ディミトリは村民達へ別れの挨拶を贈る。少年が手を振るのに応えた手は、何の力もなく、何も持たず。何も成さぬままただ振るい続けてきた槍に厚くなった皮が、ただ硬く乾いていた。
「さて、俺らは雉でも狩って帰るか」
 昇り切った陽は少しずつ落ち始めている。朝のうちに出たはずが、昼ももう終わりに差し掛かろうとしている。帰る頃には日が暮れてしまっているのだろう。
「二人共、世話をかけたな。俺ではこうはいかなかった、ありがとう」
 改まって頭を下げるディミトリに、レオニーは困り果てた様子で首を振った。王族に頭を下げさせているという状況が気持ち悪く、居た堪れないのだろう。
「やめてくれ、私はディミトリのためにやったんじゃない。だから礼を言われるような筋合いはないんだ」
「諦めろレオニー、こいつはそういう奴だ」
 愉快といった様子を隠すことなくからからと笑うクロードを恨みがましくひと睨みして、気を取り直すとレオニーは抱いていた懸念を口に出した。
「でもあの村、肉は手に入るようになったけど、その他がさっぱりなんだろ? 少しは実りがあっただろうけど、それだけじゃ厳しくないか?」
 レオニーの言うことは尤もであった。自力で食糧を調達できるようになったことは大きいが、狩猟だけでは到底飢えを満たすに足りない。皮と骨粉は幾許かの稼ぎになるかもしれないが、それも微々たるものだろう。山菜も冬が深まるにつれて姿を消していく。あと一押し、だが決定的なものが不足しているのだ。
 渋面のレオニーに対し、クロードは表情を崩さない。ほんのりと口元を綻ばせ、それでいて考えの読めない、『何かある』と思わせる笑みだ。
「ああ、それなら──」
 こうしてクロードが口を開く度に、『ああやはり』と皆が思うのだ。この男には何かがある、そして事実何か手があることに安堵する。不可思議なことであるが、クロードはそうして後ろに続く者達を導き、期待に応え続けている。
 不意に、クロードの双眸がディミトリを捉えた。向けられる視線が、お前にしかできないことがあるのだと告げている。考えて、ディミトリは思い至る。自分にできるのはこの程度が関の山だと、それでは救うに足りないのだと思い悩んでいた事柄が、最後の一押しになるかもしれない。全ては救えずとも、救えるものがあるかもしれない。一人ではできぬことに、周りを巻き込んでしまうのだ。
 悪戯を思い付いた子供のように、クロードは愉しげに、そして不敵に笑った。
「──そこはそれ、王権があるだろう?」