月を食む

FGOベディぐだ

 目を開ける。電灯を落とした天井は真っ暗で、染み一つない天井がひっそりと息を殺して立香を見下ろしている。ベッドの上をごろりと転がり、目を閉じるものの眠気が訪れる気配がない。もう一度体を転がし、再び天井を仰ぐ。立香の体はある欲求を訴えていた。それを黙殺しようとして──立香はその身を起こした。
 我慢の限界だ。限界と言えるほど忍耐を重ねたのかと言われれば全く頷けないのだが、これ以上その欲求を抑えることはできなかった。
 密やかにベッドを抜け出し、足を忍ばせながら廊下に出た。思わず人目を忍んでしまうのは、立香に後ろめたい気持ちがあるからに他ならない。自分一人で事を成す。そう決めて、目的地へと足を進める最中、突如として立香の肩に衝撃が走った。
「わあー!?」
 思わず上げた色気のない悲鳴に、肩の上に置かれた手がびくりと跳ねる。これでは隠密も何もあったものではない。弾かれたように振り返れば、そこには目を丸くして不思議そうにこちらを窺う姿。見知った人物に立香は安堵の息を漏らし、そして、その者へ共犯を持ちかけた。
「ベディ、私と悪いことをしよう」
 モリアーティ教授の気持ちが、少し分かるような気がする。誰かを唆し、悪の道へと引きずり込むのは、とてもとてもわくわくするのだ。
 返ってきたものは、完全に困惑しきった様子のはい? であった。勝手にそれを肯定とし、立香は中断していたミッションを再開する。心強い相棒は同時に強大な敵にもなり得るので、目的はあえて伝えない。これがプロの悪というものだ。たぶん、おそらく。
 辿り着いた目的地であちこちを探る。目当ての物を見付けて、立香は湯を火にかけた。その間に袋を開き、中身を器の中へと移す。玉子を割り入れれば、準備は完全に整った。
「ラーメン、ですか?」
 穏やかに問う声が立香の罪を暴き立てる。抗うことなく自白した。
「この時間に食べると保護者が煩くてね……それにまあ、夜食は太るし……」
 そう言いつつも箸を用意する手は止まらないあたりに反省の色はない。仕方がないではないか。人間なのだから腹が減って眠れない夜の一つや二つあるだろう。
「ベディは食べても太らなそうだよね……」
 羨望を滲ませたその一言に齎されるのは、そもそも私は死人ですからねという律儀な回答。揺るぎない事実が、立香の胸を小さく刺す。
「変わってゆけるということは、今を生きる人に与えられた特権ですよ」
 それでも、この変化は望ましいものではないと口を尖らせながら立香は器に沸騰した湯を注ぐ。蓋をしてから器の端を持って近くの席へと運ぶ間、隣を歩く共犯者は火傷をしないだろうかとしきりに気にしていた。どうやらこの行為自体を咎める気はないらしい。
「そういえば、ベディはこんな夜中に何してたの?」
 立香はこうして夜食を貪るために起きたのだが、その立香を見付けたのはベディヴィエールであり、彼も何がしか出歩いている理由があるはずだ。
「この身は眠りを必要としないので……。ならば、見回りでもしていようかと」
 返ってきたのは実に彼らしい答え。きっとベディヴィエールは日課のように毎夜眠らぬその身で歩き続けているのだろう。
 ベディヴィエールは自身を死人であると言うが、本来はあり得ない『二度目の生』を得た人間であるとも言える。有限であるその第二の人生を、こうして無為三分間に費やしてもらうことはこの上なく贅沢で、罪深いことだと立香は思うのだ。
 それでも、英霊として現界している間のみ与えられるその時間を、出来る限り共に過ごして欲しいと願ってしまう。こうして自分の隣にいてくれることを嬉しいと思ってしまう。その時間がずっと続くものではないと知っているからこそ。
 ちらりと覗き見たその横顔に、いつまでこうしていられるのだろうかと考える。そうしてすぐに、考えても詮なきことであると頭を振った。
 落としていた蓋を持ち上げると、白い湯気がふらふらと立ち上る。食欲をそそる香りが辺りに漂い、口の中に溢れた唾を立香は音を立てて飲み込んだ。
 二人揃って器の中を覗き込む。こうして共に月を眺めるような、他愛のない時間を何度も積み重ねられればと立香は口元を綻ばせた。