獏の見る夢

FGOベディぐだ

 目を開ける。見慣れた天井がある。全身がぐっしょりと濡れていて、心臓が裂けんばかりに鼓動し早鐘を打っていた。
 腹の中は大蛇が巣食っているかのようにぐるぐると不快感が這いずり回っている。ひどく重い体を起こしながら、立香は今まで自分が夢を見ていたのだと悟る。ひどい、夢だった。
 頬を伝い落ちる滴を拭う。寝汗だと思っていたそれは、拭ったそばから溢れてくる。そうしてようやく立香は自分が落涙していることに気付いたのだった。途端にこの一人の夜が心許なく寂しいものに思えてきて、汗を纏った体を震わせた。
 ぽっかりと心に開いた空洞から、暗い不安がぬるりと潜り込んでくる。そうし立香の心の柔らかい部分から食らっていく。堪らなく怖くなり、立香は一人のベッドを抜け出した。
 ひたり、ひたりと明かりの落ちた廊下を歩く。夜も随分と深まった頃であるので、出歩く者は一人もいない。その光景にまるで自分だけが取り残されてしまったかのように感じてしまい、立香は歩く足を早めた。
 首の後ろを焼くような焦燥が、いつまでも付き纏ってきて離れない。心細さに泣きそうになりながら、体で覚えた道順を進んでいく。夜目が利かずとも、その部屋へはごく自然に、簡単に辿り着くことができた。部屋の中にその人がいなかったらどうしよう。焦りと不安に飲み込まれそうになりながら、立香はその部屋の扉を叩いた。
「どうしました?」
 突然の来訪者を、ベディヴィエールは驚きながらも受け入れる。彼がそこにいるという事実に、立香はこの上ない安堵の情を抱いた。それでも一度覚えてしまった恐れや不安の念は消えず、足が竦んでしまう。
 動けなくなってしまった立香の姿を認めると、ベディヴィエールは主人である少女の名を呼んだ。
「――どうぞ」
 甘えることを許されたその腕の中に、立香は息急き切って飛び込んだ。その勢いの激しさに、虚を突かれた体躯がベッドの上へと倒れ込む。どこかで打ってしまわぬよう咄嗟に抱き込んだその体を、ベディヴィエールは優しく宥めた。
 幼子にそうするように、その背を撫でる。可憐な花のような貌は、すっかりと埋められており表情が見えない。だが、この少女は泣いているのかもしれない、騎士はそう感じたのである。
「どうされたのですか?」
 柔らかな声音が問う。怖い夢を見たのだと、立香は縋り付いた。
 埋めた胸からは、無性に懐かしいにおいがした。郷愁など感じられるはずがないのだが、何故か立香にはそう思えたのだ。懐かしく、愛おしい。ともすれば泣き出したくなるほどに。不思議なその感覚は、立香の胸に沈み込むように馴染み、気持ちを落ち着けていく。
「どんな夢だったのですか?」
 聞くことで、不安を落ち着けられるかも知れないと問いかける甘やかな声音。それは真綿のように立香を包む。ああ大丈夫なのだと、理由なく身を預けられる。無情の安堵を齎してくれる。深く息を吸い込んで、立香はそこにある体温に酔い痴れた。たとえ仮初の肉体であろうと、彼はそこにいるのだとはっきりと感じる。
「……忘れちゃった」
 己の胸の内を浚って、立香はぽつりと呟いた。伏せていた顔を持ち上げて見合わせると、おかしい気持ちになってくすりと笑う。あれほど心を占めていた暗い感情が、今はすっかりと消え失せている。
「もう怖くはありませんか?」
「うん、ベディヴィエールがいるもの」
 告げて、その体に身を預ける。硬い肉体と、やわらかな温もりを感じる。恐れることなど何もない。だからこそ、その夢を口にしてしまえば本当になる気がした。故に立香は何も知らぬと口を噤むのだ。
 ゆるりと目を閉じる。そこにある感触を確かめて、立香は不安の種をぱくりと飲み込んだ。悪夢が存在しなければ、正夢になどなりはしないのだと。