甘やかな檻

FE風花雪月ディミレス

 先生の様子が最近おかしい。
 顔を合わせれば用事があったと露骨に背を向け立ち去り、声をかけようとすれば急いでいるからと慌てて走り去る始末である。そうなれば流石に感じるものがあるのである。避けられている、と。それも露骨にだ。
 心当たりなどないと思う方が土台無理な話だ。少し前までは何かを思えるような余裕がなく、先生を始めとする面々には数え切れないほどの迷惑をかけてきた。そのことも十分に思い当たる内容ではあるのだが、一番の変化といえば、そう。
 先生に、抱いていたこの想いを告げたことだろう。
 指輪を渡した。あなたが欲しいのだという思いを込めて。そうして、先を越されたからと先生が自ら指輪を渡してくれた時、有り得ない光景に頭が真っ白になってしまったのだ。愛を乞いながら、得られるはずもないと諦めていたものが、甘い幸福となって突如として降り注いできたのだから驚きだってするだろう。そんな男を、先生は受け入れてくれたのだという。
 そうして交換した指輪は、今も変わらず先生の指にある。先生が贈ってくれた指輪もこの手にある。それが何を意味して贈られたものなのかも知っている。先生の『大切な人』になれたのだという事実が、揺るぎないものとしてそこにある。
 しかしそれがどうして、無体を働いていないかと詰め寄られる結果になるのだろう。先生の態度がおかしいのは明白であり、その対象が限られている時点で自ずと原因が特定される。先生との関係性を隠し立てするつもりもなかったので、知るところになっている以上疑われるのもやむなしではあるが、それを知りたいのはこちらの方なのだ。
「本当に先生に何もしてないの? 無理矢理迫ったりとかしてない!?」
 同性故に心配が募るのか、女性陣からの圧力が殊更に強い。しかしそんな覚えは一切ないのだ。
「本当に覚えがないんだ。そもそも、どう触れていいのかも分からないのに……」
 先生は、綺麗だ。外見の美しさという話ではなく、その在り方が美しいと感じるのだ。精巧な硝子細工のように繊細で、光を受けて煌めく様が、その輝きが、眩く貴いものだと思う。触れることを躊躇ってしまうほどに。
 零した飾らぬ気持ちに、にやにやとした視線が向けられるのを感じる。そうかそうかと頷く様子に決まりの悪さを覚えながら、ひとまずあらぬ罪を着せられることは免れたのだと悟る。
 しかして異変の原因は分からないままである。ぐったりと疲れた気持ちで談話室という名の尋問部屋から出ると、奇しくもこちらに向かって歩いて来ていた先生と鉢合わせた。その丸い目を驚きに瞠ると、先生は露骨にぐるりと背を向け来ていた道を引き返し始めた。露骨に、である。あんまりなその反応に傷付いたのも確かだが、いい加減悩み続けることに疲れてしまった。意を決して足早に歩き出すと、歩幅の差もありその距離はあっという間に縮まる。
「先生!」
 まさか追ってくるとは思っていなかったのだろう、びくりと華奢な肩が跳ねた。これ以上の逃亡を許すつもりはないため、進路の先の壁に手を突く。同様に退路を塞ぐと、その小さな体はすっかりと腕の中に囚われてしまった。戸惑いを孕んだ瞳がじっとこちらを見上げていたが、はっとした表情を浮かべるとともにそれは逸らされてしまった。まただ、と思うがこう続くと堪えるものがある。
「ここ暫くずっと避けられているんだが、何か理由があるなら言ってくれないか」
 俺が嫌になったか、という問いは思いの外弱々しくて驚いた。先生が離別を望むなら諦める努力はするが、一度発露したこの気持ちを捨てられる気はしない。
「違う!」
 突然発された声の大きさに、今度はこちらが驚く番だった。そうして再び先生は視線を逸らすと珍しく言い淀む。幼子を虐めているようでひどく居心地が悪い。
「ええと……君とそういう関係になったんだと思うと、その……どきどきして、どうしていいのか分からなくなるんだ……」
 今までは先生だったから、とおずおずと告げる声。滑らかな白い頬は、果実が熟れるが如く色付いていく。何なのだろう、この愛らしい人は。
「それは困るな。これから嫌というほど顔を合わせるんだから、慣れてくれ」
 自分がずっと前に通り過ぎたその感情を、今になって先生が抱いているということがおかしかった。揶揄うように視線を合わせると、息を呑む気配がする。
「そうだね。君とずっと一緒に居られることが、私はとても嬉しくて幸せなんだ」
 この人には本当に敵わないと思う。衝動的に掻き抱いた体は柔らかくて温かい。込み上げる感情のまま好きだと告げると、甘やかな声音が応える。そろりと背を這う小さな手に、手放すことなどできるはずがないのだと目を閉じた。