遺伝子の海、虚数の星

FGOその他

ロマニがいない世界でロマニの子を産むぐだ子さん


 その時のことはよく覚えている。私の手を握る先輩の手の力の強さ、獣のような呻き。新たな命が生まれることは、とても大変で尊いことなのだと私は強く思ったのだ。
 火が付いたように泣き叫ぶ声が聞こえ始めた時、先輩もまた泣いていた。ひっそりと、息を殺すように啜り泣いていた。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって、私は慌てて産湯を用意しに行ったのだった。
 平らだったお腹が目立ち始め、それがまた平らになってからも、先輩は誰の子であるのか決して口を割ることがなかった。聞くことが躊躇われたこともある。時折気まぐれに誰かが聞いてみることもあったが、先輩は何も言わず曖昧に笑ってみせるだけだった。
 初めて抱かせて貰ったその子は、私の腕にも随分と余ってしまうほど小さくて、頼りなくて。本当に私達と同じような形に成長するのだろうかと、どこか信じられない気持ちだった。しかし、子供の成長は早いというのは本当で、日に日にその子は大きく育っていった。
 身篭っていた頃にも特異点へのレイシフトは行っていたため、何か影響は出ていないかと心配されていたが、大人達の懸念を笑い飛ばすかのように発育は順調であった。子供が生まれてからはカルデアに子を置いてのレイシフトとなり、離れるのは少し寂しいと笑っていた先輩の顔がとても印象に残っている。
 子は泣くのが仕事だというそうだが、私はこの子が泣いているのを産まれた時くらいしか見たことがない。すやすやと眠っている姿がほとんどだ。目を覚ましている時は大抵ほんわかと笑っている。今もまた、シャドウボーダーの中でこの子はふにゃりとした笑みを浮かべている。その場にあった資材をやりくりして作った揺り籠の中で、皆が緊迫した表情を浮かべる中、この子一人が笑っていた。その姿を見た時、皆がほんの少し優しげな面持ちになるのだ。
 似ている、と思った。どこか肩の力を抜かせてくれる、この笑みを知っている。記憶の中の笑顔と、子の笑顔が重なるのだ。誰も口にはしないが、きっと皆がそう思っているのだろう。そして、もうどこにもいない彼を偲ぶのだ。
 先程までここで子を慈しんでいた先輩は、きりりと表情を引き締めると死の凍土へと旅立っていった。漂白された世界を、取り戻すために。自身が生きるために。生きて、この子を守るために。
 差し出した指が、その小さな手からは想像もできないほど強い力で握られる。私も、そろそろ決めないといけないのかもしれない。迷いや不安は未だ消えていないし、戸惑いだってある。だけど、この手で守りたいと思うものは、変わっていないのだ。だから。
「マシュ・キリエライト、行ってきます」
 小さな後輩にそう告げて、私は新たな力をその身に纏う。指先に残るその感触が、力を貸してくれたような、そんな気がした。