熱冷めやらぬ

FE風花雪月ディミレス

 汗ばんだ肌を、生温く湿った空気がねっとりと撫でていく。部屋の中は静寂だけが鎮座しており、目の前に広がるのは死屍累々。その光景を呆然としながら見つめていた。大変だ、と呟いてベレスはある目的のために急いで部屋を出た。
「ひゃっほーう!!」
 どぽん、と勢い良く飛沫を上げながら、命の水を浴びた屍達は死の淵から生還する。ベレスはほっとした心地でその様子を眺めていた。
 北国育ちの彼らにとって、ガルグ=マクで迎える翠雨の節は殊更堪えるらしい。熱気という名の見えざる敵に身も心も打ちのめされる彼らを見て、ベレスは本日課外活動に充てることに決めたのであった。
 そうして意気揚々と許可を取りに伺ったベレスであったが、正直なところ心配した生徒達が後を追ってきてくれなければ説得は難しかっただろう。今回説き伏せられたのは彼らが日々勉学に励み、課題で挙げてきた確かな実績によるところが大きい。日頃の彼らの行いが実を結んだのだと思うと、誇らしく嬉しかった。
 男女共々制服を脱ぎ捨て、今は遊泳用の服に着替えて川遊びに興じている。はしたないと咎める大人はいないため、女子生徒達も照り付ける日差しに勝るとも劣らない眩しく健康的な肌を露出させて飛び交う水飛沫の中に身を躍らせた。
 肩から伸びた薄く白い生地の裾が、上流から吹く爽やかな風にゆらめき膝を擽る。当初いつもの服装で赴こうとしていたベレスであったが、あんまりだと引き止められてあれやこれやと押し付けられた結果、慣れない服を纏って佇むことになったのである。日差し除けの帽子と、広げた日傘の影が仲睦まじく揺れていた。服の下は泳げるような格好にしているが、できればその機会が訪れることがないよう願う。
「先生は泳がないのか?」
 一人輪から外れて見守るベレスを慮ってか、澄み切った空のような声が問う。蒼穹の瞳が真っ直ぐにベレスを見つめていた。燦然と照り付ける太陽に輝く金髪の、丁寧に切り揃えられた毛先から落ちていく雫が美しい。
「実は泳いだことがないんだ」
 傭兵稼業でフォドラの外に出ることがないため海路は使わず、大陸内の移動手段は陸路となる。行楽らしい行楽もしてこなかったため、泳ぎとは縁遠い。川で水浴びをしたことはあるが、それは身を清めるためであり遊泳ではない。
「入ってみるか? 冷たくて気持ちがいいぞ」
 その誘いは、とても魅力的な内容であった。日傘を畳み、帽子を置く。我知らず期待に顔を輝かせながら、ベレスは差し出された手を取った。
 歩を進めるごとに、爪先から少しずつひんやりとした感触がせり上がってくる。纏っている服の裾が少しずつ水を含んで重くなり、踏み出す脚にかかる抵抗が大きくなっていくのが分かる。水位が腰を通り越していったが、不思議と怖さはなかった。未知の世界への好奇心に導かれるがまま踏み出した足は、川底に広がる礫の上をずるりと滑る。
「わぷっ」
 どぶり、という音が遅れてやってきて、視界がぐるりと回転した。足が付かない。眼前で繰り広げられている事象がうまく把握できない。何が起きているのか理解が追い付かない。突然のことに混乱したのは一瞬で、気付けばベレスの体は引き締まった両腕によって川面から引き上げられていた。どうやら足を滑らせてしまったらしいと遅れて悟る。
「先生、大丈夫か!?」
「……びっくりした」
 今まで気付かなかったのだが、彼の体はこんなにも大きかったのだと思い知る。水中から助け出すために抱え上げられたベレスの体は、その体躯にすっぽりと覆われており、初めての経験に胸の奥がざわめく。ごく近くにある他者の肉体、そこにある温度、心臓の鼓動。不思議な心地だった。それが一体何なのかを知りたくて顔を持ち上げると、濡れた髪からぽたりと透明な水滴が落ちていった。
「すまない、怪我はなかったか」
 頷くと、降ってくる安堵の息。程なくして始まった指南を受けながら、ベレスは形容し難い感情を抱く。要点を掴んでしまえば理解は早く、ベレスはあっという間に溺れない程度には泳げるようになってしまった。賛辞を受けながらどこか櫟ったい気持ちで岸に上がると、すっかりと水を含んだ服がぴったりと肌に貼り付く。
「……少し待っていてくれ」
 そう告げて姿を消した彼は、普段身に着けている青い外套を手に戻ってきた。体が冷えることを気にかけたのか、これしかなくてとベレスにそれを纏わせる。外套に包まれていると、先程の名状し難い思いが再び胸に満ちていく。
 ──ぽかぽかする。そう感じながらベレスはどこか面映ゆい心地で目を閉じた。