幸福の序曲と祝祭の鐘

FE風花雪月ディミレス

見る人が見れば先生の人たらしって恐ろしい権能に見えるよねという話
書きたいところだけ書いたので続かない


「本日は遠路はるばるお越し頂き恐悦至極にございます、陛下」
 天高く広がる清々しい青が、実に美しい日であった。新たな道へと踏み出す大いなる一歩。それを彩るに相応しい、雲ひとつない晴天である。まだ見ぬ明日に震え高鳴る胸は、希望に熱く燃えていた。皆で勝ち取った未来が結実していく様は、実に喜ばしく誇らしいことであると感慨と共に思う。
 本日は、ファーガス神聖王国のフォドラ統一を記念した祝祭の日だ。
 南方の領主より和睦も兼ねてと招待されたその催しは、争いが続いていたこの地にとってよき契機となるだろう。争い、勝ち取り、そして彼女から受け継いだこの国を、きっと良きものにしてみせる。もう誰も奪われることのない世界を実現してみせる。それこそが自分の成すべきことであるのだと、決意を新たにする。
「赤狼の節でもこっちは随分と暖かいね」
 そう言うベレスは公の場ということもあり大司教の正装に身を包んでいる。白を基調とし、金糸で緻密な刺繍が施されたその衣装は、彼女の纏う神秘的で荘厳な空気をより一層引き立てていた。彼女また、本日の催しに招かれた主賓である。
 フェルディア近郊では既に動物達が冬支度を始めているが、旧帝国領まで南下すると鮮やかな紅葉と降り注ぐ温かな陽光によって寒さはほとんど感じない。王都を発つ際に着用していた外套も、今は薄手のものに切り替わっている。
「ああ、紅葉がこんなにも残っているとはな」
 普段見慣れた景色の紅葉は既に散ってしまった後なので、こうして再び紅葉を見ることができるのは少し特別感があった。季節の移ろいを立ち止まって眺める楽しみ、その喜びをベレスと分かち合えたことをとても嬉しく思う。
 二人顔を見合わせて微笑んで、開かれた門扉の内へと歩を進める。ああ、今日は良い日になりそうだという温かな予感を胸に抱きながら。
「本日はご足労頂き誠にありがとうございます。陛下のご尽力で魔獣が掃討されたとはいえ、長い旅路でしたでしょうに」
 従者から貴賓室へと案内され、待ち受けていた領主は深々と頭を垂れた。
 魔獣の討伐は国を挙げて行ってきた急務であった。フォドラが国としての機能を取り戻すには交易の流れを取り戻さねばならない。国家という巨大な個体を動かすのは、人という名の血潮だ。これからの時代、この地を巡るのは軍ではなく民である。だからこそ、その流れを滞らせるものは排さねばならない。
 魔獣が討伐されたことにより、交易は円滑に、そして活発になった。魔獣の被害があり避けてきた道を選べるようになったことで、滞っていた流れは解消し、国は現在過渡期を迎えている。それも皆、教会として、そして将兵の一人として討伐に尽力してくれたベレスの働きあってこそである。
「こちらこそ、此度の招待感謝する。これを機に、共に良き国を作ってゆこう」
 握手を交わし、今後の展望について二、三話していると、準備が整ったと侍従から声がかかる。領主に連れられ、重厚な扉を開いて通された歓待の間では、長く伸びた机に幾人もの諸侯が席を連ねていた。
 これだけの人数を結束させ、集めるにはかなりの根気と労力を要しただろう。ましてや相手は自国を滅ぼした国である。権力におもねることが貴族の賢しい生き方だと分かっているが、こうして国として結束する場を設け、共に同じものを見ようとしてくれていることが嬉しいのだ。きっと、この国は良き方向に進むことができると、確信にも似た熱い思いが胸に滾る。
 ベレスと共に用意された席に着き、腹に力を込めて力強く葡萄酒を掲げた。
「此度の催しに感謝する。より良きフォドラの在り方のため、力を貸して欲しい」
「新たなフォドラの記念すべき日に祝杯を!」
 続く領主の言葉に、皆一様に杯を高らかに掲げてその中身を嚥下する。まるで杯を満たす赤こそ、新たなる血潮とならんとばかりに。喉を通り、体を巡り熱を齎す。我々には同じ赤色が流れており、それこそが契りである。
「この度振る舞いましたのは当家でも秘蔵のものです。存分にご賞味下さい」
 皆が口を付けたことを確かめてから領主が告げる。今日のために貴重な品まで開けてしまうとは、意気込みの強さにこちらが圧倒されてしまいそうなほどだ。
 間を置かずして運び込まれたのは、豪勢な料理の数々である。香草と共に香り高く焼き上げた白身魚が、皿の上で品良く鎮座している。切り分けた身を口に含んだベレスの表情がぱっと華やぐ様を横目で見ながら、葡萄酒の杯を傾けた。
 美味しそうに頬張る彼女を隣で見ているような、穏やかで温かく、微かに心躍るような時間がずっと続けば良いと思う。これを幸福と呼ぶのであれば、きっと自分は幸福のために生きている。皆がそれを得られる世界であれば良いと思う。
 視線に気付いたベレスが柔らかな笑みを零す。楽しそうだと言いたげな顔であるが、そんな彼女こそ楽しげに見えた。弧を描く艶やかな唇が開く。そして──



 ──おぞましいほどに真っ赤な血を吐き出した。



「先生!!」
 信じられない光景に、悲鳴のような声が喉から迸った。華やかな貌は一瞬にして崩れ、苦悶の表情に彩られる。ベレスは自身の胸を掻き毟るように強く押さえると、低く詰まった短い呻きと共にずるりと力を失くして倒れ伏した。
 慌ててその体を抱え上げ、何度も呼びかけるが開かれた目はただ虚空を彷徨っている。今まで失われることのなかった輝きが、力強い命の色が消えていく。その事実は、今までに感じたことがないほどの強い恐怖を齎した。
 そしてはたと気付く。この場が異様に静かすぎるということに
「人を蹂躙せし異形に裁きは下された! 今こそ人の世を取り戻す時!!」
 それは王の号砲が如く、混沌とした空気を裂く一声であった。落ちた声音は雷撃となって地を走り、伝播する。続いて上がる鬨の声は、この世で最も醜悪な生物の産声のように思えた。ああ、何かが生まれる気配がする。
 自分の中で、得体の知れないものが生まれ出る気配がする。
「毒を、盛ったのか」
「はい、魔獣の肝を精製したものを」
 大抵の毒物は解く手段がある。しかし、魔獣という理を外れた生物について我々は未だ多くを知らない。魔獣の肝を調べれば、毒を解く方法を見つけられるかもしれない。しかし、魔獣が根絶された今調べる手段はない。そして、調べることができたとしても、今この瞬間に間に合わなければ意味がないではないか!
「何故、このようなことをした」
 気が狂いそうになりながらも慎重に言葉を選ぶ。この場において、彼らを詰ることに意味はない。フォドラの上に立つものを滅ぼし、支配者になりたいのであれば自分こそ毒を盛られる立場であるだろう。しかし今、苦しみ血を吐いているのはベレスである。つまり、彼らの目的は別にある。それは何か。
「帝都の城で隠し部屋が見つかりましてね、そこにあったのですよ。教会が人の心を操りこの世を歪めていたという恐ろしい事実、代々皇帝に受け継がれてきた秘密が。我々は今まで異形に意思を奪われ支配され続けてきたのです」
 かつて、教会を糺すべきものとして起った少女がいた。対話を経て、戦いの果てにようやく決し、改めるべき部分は改めより良きものを目指そうとしていたはずのものが、呪いのように再び噴出する。塞がったはずの胸の傷跡が、痛む。
「かつて陛下もご覧になったでしょう。『白きもの』たる異形を。あれこそがフォドラを支配する教会の真の姿、歪んだ世を生み出せし元凶です」
 朗々と、物語を語って聞かせるが如く領主は語る。そして、その目は力なく倒れるベレスを忌むべきものとして睥睨していた。
「今代の大司教など、奇妙極まりないではないですか。突如として一介の傭兵が教会に取り立てられたかと思えば、あらゆる人心を掌握し、大司教の地位に収まっている。おかしいとは思いませんか? あまりにも彼女の持つ影響力が大きすぎる。それも異形の持つ異能を行使し、人の心を操ったのであれば納得がいく。恐ろしくはないでしょうか、自らの意思と思っていたものがまやかしであったなら……陛下は、これまでの選択がご自身の意思によるものだと言い切れますか?」
 人の世を取り戻せ! 我らが自由を取り戻せ! 口々に叫ぶ声がする。大司教は化け物であったのだ、殺せ、殺せと繰り返す。何だ、この醜悪な生き物は。こんなもののためにベレスは倒れたのか。ああ、ここが地獄であるというならば。
 ──ここにいるもの達に、救う価値などあるのか。
「君の選択は、君だけのものだ」
 消え入りそうなほどに弱々しい声音が、一切の抵抗なく胸の内にするりと入り込んで溶けていく。赤子よりも弱い力で、華奢な手が懸命に厚い服の生地を握る。
 虚ろな視線が、ただ真っ直ぐにこちらを見上げていた。周りを囲む諸侯達の姿など見えていないかのように。或いは、全て分かっていながらただ言葉を伝えるために死力を振り絞ったかのような。焦燥のまま掴んだ手はひどく冷たかった。
 自らの意思が、選択が、本当に自分のものであるかと問われた時、どきりとした。存在そのものが捻じ曲げられていく得体の知れない恐ろしさがあった。
 しかし、それがどうした。この身が感じてきたものは、全てが紛れもなく本物だ。俺は、俺の心のままに生きている。そこに何かの意思があろうとなかろうと、俺は、自らの信念のために生きている。そう在りたいという自らの願いのために、この命を燃やしている。選択の正しさなど誰にも分からない。ただ、自分はこの人に笑っていて欲しいだけなのだ。ベレスを抱え、立ち上がる。
「──全員、動くな」
 憤怒のように、地鳴りのように。鳴り響く鐘は始まりの合図か。