俺の神様

FE風花雪月ディミレス

 ──主よ、我を導き給え。
 大修道院を訪れる人々は、大聖堂にて祈りを捧げる。今まで宗教というものに関わってこなかったため、セイロス教の存在すら知らなかったベレスにとって、その行為は実に不思議なものであった。
 ガルグ=マクに身を置くにあたって、セイロス教とは切っても切れない関係である。周囲の人々の勧めもあって書庫で文献を一通り読んでもみた。
 生きとし生けるものは全て主が作り給うたものであるため、今日を生きられるということに感謝を捧げよ。そして、主は美しきものを是とするため、戒めを守って善き者であれということらしい。
 自らに与えられた生への感謝、それこそが教義であるのだろうかとぼんやり考える。しかし、教会を訪れる者は口々に発する。『主の導きを』と。それは感謝を捧げるというよりも、縋り付くかのような祈りであった。
 大聖堂を後にすると、ベレスは修道士から貰った聖歌の楽譜を眺める。主を崇め讃える言葉が、譜面に沿って幾つも連ねられていた。心を込めて歌えば、主へと届くのだそうだ。教わった旋律を唇に乗せて発する。
「聖歌か」
 かけられた声に、顔を上げる。見知った姿がそこにあった。
「よく分かったね」
 メルセデスのような敬虔な信徒であるならばいざ知らず、ディミトリからは特別強い信仰心を感じられなかったので少し意外ではある。ベレスの言に、彼はごくあっさりとその答えを告げた。
「セイロス教はファーガスの国教でもあるからな。幼い頃から教義については教え込まれたし、聖歌も覚えた」
 成程、と得心がいく。ファーガス神聖王国はセイロス聖教会により認められ、独立した国である。その王子たるディミトリが国教について知らぬ訳がない。書庫で得た知識が、こうして紐付いていく様は実に興味深く面白かった。
 歴史を知るということは、国を知り、人を知り、そして目の前にいる人物を知るということである。書庫に行き、セイロス教の歴史を知るといいと勧められたその理由を、ようやく理解することができた。
「セイロス教に興味があるのか?」
 その問いに、どう答えたものか分かりかねた。興味はあるが、それはセイロス教そのものというよりもセイロス教を通じて知る物事に対するものである。
「どうだろう……主を信じるかは分からないけれど、知ることは楽しいと思う」
 ありのままを零すと、先生は素直だなとディミトリが笑う。修道院の一員として活動することもあり、教徒の前では信じていると言うべきなのかもしれないが、特別取り繕う必要もあるまい。生徒達とは嘘偽りなく接したいと思うのだ。
「まあ、主を信じようが信じまいが、実際のところは関係ないのかもしれないな。女神とされる存在がいる、そのことこそが人の心を救うのだと思う」
 その一言は、ベレスの中に蟠っていた疑問を溶かしていくものであった。主よ我を導き給え、主の加護があらんことを、と幾度となく発されるその言葉の群れは、人々の願いや思いの発露なのかもしれないと。主を仰ぎ、縋ることにより、自らの心の中に拠り所を作るのだ。
 主へ祈りを捧げ、跪くその行為は、自らの足を進めるきっかけや支えになっているのかもしれない。そう考えると、確かに主は人を導き救っているのだろう。暗い道を歩くために灯した灯りのように、人々を安堵させるのだ。
「君は、女神を信じているの?」
 それは純粋な疑問であった。ディミトリの言葉にはどこか含蓄がある。主などいようはずがないという断定とも、主への信仰とも取れぬその言からは、何故か彼自身の経験に裏打ちされたかのようなはっきりとした思想を感じるのだ。
 瞬間、漂う空気が一変し、ベレスの肌をぞわりと撫でる。
 ディミトリは口角を上げるが、その双眸は伏せられ、澄み渡る青い空が翳りを帯びる。長く伸びた睫に覆われたその隙間から、底の知れない瞳がどこか仄暗い何かを湛えてじっとベレスを見下ろしていた。
 それは、ぞっとするように美しく艶やかでありながらも、決して触れることを許さぬ棘を纏った微笑みであった。
 思い出されるのは、温室で花を摘もうとして指を傷付けた時の記憶。綺麗な花を守るかのように生えた小さな棘は、ベレスに鋭い痛みを齎していったのだ。
「──さあ、どうだろうな」
 爽やかな声音が、曖昧に告げる。ほんのりと甘いそれは花蜜であるのかそれとも毒か。拒絶の棘に痛みを覚えながらも、ベレスはその奥にあるものを知りたいと思ってしまった。芳香に惹かれた虫が蜜に触れるのは、ずっと先のことである。