三行半

FGOその他

『うーんこれはちょっと堅苦しすぎるか……』
『なんだか遺書染みてきたな……やめやめ!』
『わわっ、これじゃまるでラブレターじゃないか!』

※終局特異点の内容を含んでおります


「お弁当を作ってきました」
 風呂敷包みを手に部屋を訪れると、中にいた男はにこりと微笑みを返してくれる。その疲れ切った目元から察するに、今日は二徹目といったところかと頭の隅で考えた。
「立香ちゃんは偉いねぇ。自分でお弁当作れるんだ。ボクはそういうの無理なんだよなぁ」
 言いながら少しばつが悪そうに明後日の方向を見る男は、三十を超えた自らの身の上を振り返っているのやもしれない。そんな彼に、ずいとその包みを突き出す。呆けた様子でこっちを見つめる察しの悪いその人に、これが誰のためのものであるかを立香は高らかに宣言した。
「ドクター、あなたにです。どうせろくなもの食べてないんでしょう、少しは栄養あるもの食べてください」
 反応はない。言葉の意味を理解していないのか、ロマニはほんの少し首を傾げる。そうして暫し呆然としてから──
「えぇ!? ボクにかい?」
 ロマニは大げさなまでに驚いてみせた。この反応の鈍さはもしかしたら三徹目なのか、それとも彼自身の鈍感さか。
「だからそうだと言ってるでしょう」
 押し付けたそれをまじまじと見ながら、ロマニはとても嬉しそうに破顔する。その顔が見られただけで、手間暇かけて作った甲斐があったものだと口元が緩むのを感じた。
「嬉しいなぁ! 女の子にお弁当を作ってもらうなんて初めてだぞぅ!」
 年甲斐もなく喜ぶ幼子のような姿を、まるで母親になったかのような気持ちで見守る。この人が纏う空気は、他者を和ませてくれる。立香としてはそれは好ましいものであったが、余計な一言を言ってしまいがちな彼の気質からか、出会うサーヴァント達からは悉く辛辣な評価を貰っているのが時々少し可哀想に思う。まあ、庇いだてできない部分が多々あるのは同意できるので、それに口出しはしないのだが。
「じゃあ、食べ終わったら置いておいてください。後で取りに来ますから」
 本当は食べるところをまじまじと見ていたい気持ちがあったが、他者の視線に晒されながら食事を摂るのは落ち着かないだろうと考えて席を外すことにした。それに、包みの底に忍ばせているものを目の前で読まれるのは気恥ずかしい気持ちもあった。
 味に関しては自信がある。少しでも美味しいものを作りたくて、立香はこのために台所の番人に頼み込んで教えを乞うたのだから。自己満足のための行為でしかないが、喜んでもらえれば嬉しいと思う。
 再び訪れた部屋に、ロマニの姿はない。どうやらどこかに呼び出されてしまったようだ。ほっとしたような、残念なような、少し複雑な気持ちで机を見渡すと、端の方に鎮座する青いチェック柄の包みを見付けた。持ち上げたそれからは、元々あった重みは失われている。それだけで、心にあたたかなものが満ちていった。
 そのまま弁当箱を洗いにキッチンへと向かう。風呂敷を広げ、弁当箱を開いてパーツごとに分けていく。持ち上げた底にあったものがなくなっていることに気付いて、立香は顔を綻ばせた。忍ばせていたのは一通の手紙だ。いつもありがとう、といった特別なことなど何もない当たり障りのない内容ではあるが、普段言いづらいことを伝えるのに手紙という媒体は便利なものであった。それをロマニが受け取ってくれたことが嬉しかった。
 それから立香は度々弁当を手にロマニの部屋を訪れた。毎回底には手紙を忍ばせ、その文面の最後は体に気を付けてくださいという内容でいつも締めくくられている。それに関してロマニはごめんね、と言いながら申し訳なさそうに眉を下げるだけであった。無理をするなと言ってもその立場と性格上、彼は無理を重ねるのだろうと思うので、仕方がないことだとは思うが。それでも心配なものは心配なのだ。
 弁当箱を返す時、ロマニはいつも感謝の言葉をくれる。それだけで十分ではあったが、形に残る物が欲しくなって、ある時立香はロマニにねだってみた。
「お手紙の返事はくれないんですか?」
 じとり、と見つめると、困った様子でロマニは頬を掻いた。
「どうも手紙というのは慣れなくてね……うーん、書いてはみるけどあまり期待しないで欲しいな」
 弱り切った色の滲む声音であったが、立香は飛び上がらんばかりに喜んだ。彼が書いてくれる手紙は一体どんなものだろうかと思いを馳せる。喜色満面な立香に笑みを零しながら、ロマニは夜を溶かしたような色のコーヒーを啜っていた。今夜もきっと寝るつもりはないのだろう。
「無理せずちゃんと寝てくださいね」
 告げても、ロマニは曖昧に笑うだけだった。嘘でもいいから分かったと言えばいいものの、立香はこの男のそういう部分が好きなのだ。早くこのオーダーを完遂させて、彼をこの重責から解放したい。そう願う。無理に無理を重ね続けるロマニを見ていると、尽力への感謝もあるが、ある日突然彼がぱったりと亡くなってしまいそうでたまらなく不安になるのだ。漠然とした別離への恐怖の上に、立香は立っている。人理の火が再び灯った時、ロマニはやっとまともな生活を送れるようになるのだろうか。ならば、自分はそれに力を尽くしたい。
 目の前にいる優しいこの男のために、世界を守る。立香は強く決意した。


 疲れ果て、未だよく動かない体を引きずって、部屋のドアを開けた。部屋の主はそこにはいない──どこにもいない。
 灯りが点っていないそこは薄暗い。いつも明るい電灯の光に包まれていたその部屋が、こんなにも暗いのだと立香は初めて知った。寝付けない夜にふと訪った時でも、ここは明るい光と共に出迎えてくれていたからだ。
 彼がいつも座っていた椅子に腰かけ、机に顔を伏した。彼のぬくもりが残っているのではないかと淡い期待を抱いたが、机は火照った頬をただひんやりと冷やしていく。無情な冷たさに泣きたくなった。顔を上げると、見慣れた青い風呂敷包みがある。その中の弁当箱はきっと空なのだろう。そして、そこに忍ばせた手紙をしっかりと受け取ってくれているのだ。手紙は苦手なのだと言っていたロマニを思い出す。手紙の返事はついぞ貰うことができなかった。
 彼がいなくなってしまったら、きっと私の呼吸は止まってしまうのだろう。そう思っていた。しかし、今も変わらずこの体は鼓動を繰り返している。温かな体温を宿している。そのことが、たまらなく恨めしかった。彼はもう、この世界のどこにもいないというのに。無駄なことだと分かっていながら、ロマニの姿を探す。もちろん、どこにもいない。
 そうしているうちに、いつもはあまり散らかっていないはずの机がいやに汚いことに気が付いた。いくつもの紙片が、ぐしゃりと丸められて捨てられている。珍しい、と思いその一つを手に取って開けてみる。そこにあったのは、出来損ないの思いの丈。
『藤丸立香様
 いかがお過ごしでしょうか。
 寒い日が続きますのでお体に気を付けてください。
 それはそうといつも』
 文字はそこで終わっていた。丸められたそれが何であるか、潔く理解する。立香は急く心のままに他の紙片を手に取った。震える手で何とかそれを開き、次々に中身を確認していく。
『立香ちゃんへ
 美味しいお弁当をありがとう。
 とても嬉しくてボクの身には余る幸せでした。
 これから立香ちゃんが』
『立香ちゃんへ
 いつもありがとう。立香ちゃんには感謝しきりです。
 お弁当まで作ってもらって幸せ者だと思います。
 ボクは明るく元気な君が大』
 それは手紙だ。使い捨てのメモ紙に連ねられた文字達は、どれもが途中で終わっている。手紙を書くのなら、便箋とは言わずとももう少しまともな紙を使えないものなのか。気が利かないその男に、溜息が出そうになる。
 だが、その気が利かない手紙こそが立香の最も欲しい物だった。内容など何でもよかった。彼が書いてくれたものなら、それで。
 きっとあれこれと文面に悩んでいたのだろう。その情景がありありと浮かんで、微笑ましさに笑みを零す。そして、どうしようもなく彼が恋しくなった。この気が利かない、優しい男に今すぐ会いたかった。それは叶わないと知っている。だが、この思いを止めることはどうしてもできなかった。
 熱いものが堰を切ったように眦から溢れ、いくつもの軌跡を残して頬を伝い落ちていく。手にした紙片を掻き抱き、立香は慟哭する。幼子のようにみっともない姿だろうとどうでもよかった。もういない面影を求めて、何度もその名を呼んだ。応える声は勿論ない。知っていたことだった。そのことが、たまらなく辛い。
 涙は今日で終わりだ。明日からは、明るく元気な自分に戻ろう。そうして、曇りのない目にロマニが守ったこの世界を焼き付けて生きていくのだ。だから、今だけは。その姿を求めることを許して欲しい。胸の痛みを夜闇に溶かしながら立香は咽ぶ。
 朝焼けの光と共に、世界は生まれ変わるのだろう。少女の手の中で、紙片がくしゃりと音を立てた。