目映の君

FE風花雪月ディミレス

我が軍のシルヴァンはドラゴンマスターの職に就いております


「先生!!」
 大司教が倒れたと火急の報が入ったのは、少し前のことである。
 居ても立っても居られず、ディミトリは全ての仕事を投げ出し、ドゥドゥーを始めとする臣下達に王都を任せて出立したのであった。単身で大修道院にやって来た国王に驚きつつも案内され、扉を破らんばかりの勢いで大司教の寝室に転がり込んだのが今しがたのことである。
 ベレスは寝台の上でひっそりと横たわっていた。瞼は下ろされ、身じろぎすらしないその姿に最悪の想像が頭を過る。その瞬間、さっと血の気が引いていくのが分かった。急き立てる焦燥のままに寝台まで駆け寄り、間近にその容貌を覗き込む。呼吸に合わせて微かに体が上下しており、ディミトリは安堵の息と共に崩れ落ちた。
 ベレスのいない人生など考えられない。だが、こうして物言わず眠る彼女を見ていると、その想像が現実になる可能性があるのだと嫌でも考えさせられる。彼女を喪ってしまったら、自分は一体どうなってしまうのだろう。深淵から湧き出した昏いものが、緩慢に胸の深い部分を喰らっていく。
 今、彼女は生きている。答えのない問答はよそうと首を振り、気持ちを切り替えると、ディミトリは部屋の外に控えている修道女に状況を窺った。
「ずっと公務続きでしたので、恐らく過労だと思うのですが……」
 返ってきた答えは、歯切れ悪く要領を得ない。不可解なものを感じながら、ディミトリは問いかける。
「医者には診せたのか」
 医師の診察を受けているのであれば、何がしかの見解が出ているはずだ。大司教である彼女にそうしないはずがないとは分かっているが、どうにも不明瞭な回答が出てくるのが不思議でならなかったのだ。
「はい。ですが、その……脈はあるのに心音が聞こえないと仰られて……。昔にそのような話を聞かれたことがあるそうで、今はその医師の方を当たって頂いております」
 どうにもはっきりとしない内容にようやく得心が行った。有り得ないことが起こっていれば、医師も判断を下すことができまい。どうすれば良いのか分からないのだろう、修道女も困り切った様子で眉を下げていた。
「そうか。引き留めて悪かった」
 修道女が辞するのを見届けて、ディミトリは大司教の寝室へと戻る。
 心臓が動いていないということは、以前にベレスから聞いていた。事実その胸は鼓動しておらず、だが目の前の彼女は生きている。不可思議な状況であったが、これまでにも女神の力を与えられた彼女の変貌を目の当たりにしているので納得せざるを得ない。そういうものなのだろうと捉えていたが、いざこういった状況になると思いもよらない不便があるようだ。
 傍に控え、その名を呼びながら頬を撫でる。変わらぬ温もりがそこに宿っていた。すると、その感触に応じるように閉ざされていた瞼が微かに震え、透き通った瞳がゆっくりと姿を現していく。その様子を、ディミトリは呼吸を忘れて見つめていた。
 ベレスの瞳子がぼんやりと虚空を彷徨う。咄嗟に手を取り、ディミトリは強く妻の名を呼んだ。帰るべき場所はここにあると、自分はここにいるのだと導くように。
「ディミトリ……?」
 意識が曖昧なのか、向けられる視線はとても虚ろなものであった。存在を確かめる声が、ディミトリを探す。応えるように手を握ると、ベレスの表情が柔らかく綻んだ。
「ああ、ディミトリだ……」
 喜びを噛み締めるような甘えた声音が耳朶を打つ。蕩けた笑みを浮かべていたベレスであったが、次第に意識がはっきりとしてきたのか、少しずつその表情が冷静なものへと変化していく。そのうち状況を理解し始めたのだろう、傍に控えるディミトリの姿を認めると、今度は目を瞠りながらどうしてここに? と問いかけてくる。
「お前が倒れたと聞いて、動かずにはいられなかったんだ」
 その報を受け取った時、死んだように眠る姿を見た時、この身を襲った冷たい衝撃は筆舌に尽くし難いものであった。見えざる手に握り潰されたかのように心臓が縮み、息ができなくなる。体の芯が冷え切っていき、目の前が真っ暗になるようなあの感覚は、ひどく忌まわしいものであった。こうして彼女が目を覚ましてくれて、この上なく安堵しているのだ。
 終戦を経て怒涛の如く変化していく情勢の中、大司教という重大な責を背負うことは今までになく多忙を極めているのだろう。今まで先頭に立って導いてくれていた先生という存在に、無意識のうちに甘えすぎていたのかもしれない。内容を見直し、人員の再編及び職務の割り振りを再考する必要があるだろう。差し当たっては王国ないし自分に担える内容はあるだろうか。ディミトリは思考を巡らせる。倒れるほどベレスを追い込んでしまった、そうなるまで気付かなかったという負い目もあるが、何よりもう二度とこんな身を裂かれるような思いをしたくなかった。
「そうか、心配をかけたね。大したことはないから私は大丈夫だよ」
「それは聞けない話だな。お前は平気な顔で無理をする」
 心配することはないと主張するベレスに、ディミトリはぴしゃりと言い放つ。
 彼女は先生として常に寄り添い、時に導き、見守ってくれている。いつも変わらない先生という存在を、皆が寄る辺にしてしまう。だからこそ、黙って無理をしてしまうのだろう。だが、今はそうさせてしまう自分を不甲斐ないと感じてしまう。
「俺達は夫婦だ。だから、先生としてではなく妻として、もっと俺を頼ってはくれないか」
 彼女が頼りにしていた存在は、永遠に喪われてしまった。かつて騎士団長の部屋で見た、とても小さな背中を思い出す。その背は小さく見えていたのではなく、それこそが等身大の彼女だったのだろうと思う。
 今まで、この小さな手に幾度も救われてきた。そんな夫では頼りないかもしれないが、一人の人間として彼女の隣に立ち、支えたいと思うのだ。彼女の心の拠り所でありたいと、そうなれる自分でありたいと、強く願う。
 ベレスはその大きな目を更に見開くと、どこか擽ったそうに、それでいて嬉しそうに破顔した。どうした? と慈しみの籠もった甘い声が問う。優しく目を細めながら、ベレスが告げる。
「君はもう、私がいなくなっても大丈夫だね」
 それは、体が弱っているからこそ出た一言なのかもしれない。今まで発したことのない類のその言葉は、ディミトリにとって最も忌むべき内容であった。死とは彼の人生に於いて最も身近な隣人だ。どれだけ大切な人であろうと平等に連れ去り、大切な人ばかりを不平等に奪っていく。そうして、決して渡ることのできない隔たりの向こうで彼を呼ぶのだ。いつか、目の前のこの人を喪う時が来るのかもしれない。そうなった時、きっと自分は。
「そうだな。お前を失っても、俺は変わらず生き続けるんだろう」
 命を賭して成し遂げたいことがある。誰のためでもなく、自らの信念として。そのために生きることを決めたこの身は、最愛の存在を亡くそうと生き続ける。世界は変わらず回り続けるし、心臓は鼓動し腹は減る。そうして、彼女のいない世界を命尽きるまで生き抜くのだろう。それは純然たる事実であった。
 ただ、埋まらない欠損を抱えるだけだ。何にも埋められない洞を抱えながら、それでも確かに歩き続ける。この強さは、彼女によって齎されたものだ。だが、その欠損を埋められるのもまた彼女以外に存在し得ない。自分にとって、ベレスは最早半身のような存在なのだろう。
「だが、俺が共に生きたいと願うのはお前だけだ」
 同じものを見て喜び、苦しみは分かち合いたい。一番近い場所で見守っていてほしいし、見守りたいと思う。そうして共に生きたいと、隣に立って歩んでいきたいと望むのだ。吐露した思いの丈に、やはりベレスは穏やかに微笑んだ。
「私はとても愛されているね」
「知らなかったか? なら、毎日手紙に綴って贈ろうか」
 温かな実感の滲むその言葉に応えると、手紙に押し潰されてしまいそうだとベレスが笑う。二人の間にある穏やかな空気が、温かく愛おしかった。早く良くなれと柔らかな額を撫でる手を、ベレスは目を閉じて受け入れていた。
 コツコツと扉を叩く音が、大司教への来訪を告げる。甘やかな空気は途端に霧散し、睦み合う夫婦は国王と大司教へとその表情を変えていった。低く落ち着いた声が短く入室を促すと、修道女に続いて現れたのは深く刻まれた皺が印象的な老爺である。老いてなお壮健な様子で自分の足でしっかりと歩く老人は、恭しく頭を垂れて首長二人への敬意を表すと口を開いた。
「あの日診た赤子が、大司教猊下になられているとは感慨深い限りでございます」
 どうやら老人は昔にベレスを診たという医師であるらしい。持参した大きな往診鞄を開くと、医師はてきぱきと診察の準備を始めた。医師が言うには、心臓が動いていないことを除けばベレスの身体は常人と変わらないものらしい。二、三診察を施して首を傾げると、医師は問診を始めた。
「ここ暫く、食事は普段通り摂られていましたか」
「食べる気がしなくて……」
 今まで好ましく思っていたものもあまり美味しいと思えなくなったらしく、その変化にぎくりとする。その経験には覚えがあった。何を食べても砂を噛むように味気ないのだ。そんな状況に彼女も陥っているのだろうかと考えたが、話を聞く限りどうやらそうではないらしい。アルビネベリーは少しなら食べられる、と漏らしたベレスに医師は頷くと、ある一つの確信をもって問いかけた。
「失礼ですが、月のものは?」
「…………あっ」
 顎に手をやり、暫く考え込んだベレスは、思い当たる部分があったのか短くそれだけを発した。その様子を見届けた医師は、ディミトリを振り返ると辿り着いた結論を口にした。
「恐らく、奥方はご懐妊されているのではないかと」
 食欲が落ち、体力が低下したところで多忙が重なり倒れたのだろうと見解を告げると、医師は入室した時と同じように深々と頭を下げて部屋を辞した。その様子を、どこか信じられないような気持ちでディミトリは見遣る。扉が閉まると部屋は再び二人だけとなり、静寂が緩やかに空気を満たしていく。ディミトリは目を瞠ったまま、これから母になるのだと告げられた妻を見つめていた。
「お前の腹に、俺の子がいるのか」
 ぽつりと零れ落ちたその言葉は、水面に波紋を立てるが如く自らの内に広がっていく。口にすることで熱く胸を焦がすような実感が満ちていき、それは一筋の雫となって発露した。
 ベレスの中に、新たな命が息衝いているのだという。その事実をこの上なく喜ばしく思っているはずなのに、心の隅にある後ろ暗いものがディミトリを刺していた。生きている限り付き纏う罪の意識が、それは許されることなのかと問い質す。『生き残ってしまった』自分が子を成し、殺戮者であるこの身が幸せを享受することは果たして許されるべきことであるのか。得るものが眩く温かなものであるほどに、影の如く付き纏うその念は色濃くなっていくのだ。
 白い指先が頬を拭っていく。そこでようやくディミトリは自身の左目が涙を零していたことに気が付いた。無意識のことに戸惑う中、ベレスは真っ直ぐにディミトリを見つめながら穏やかな声音で告げる。
「幸せになることに、資格も理由も必要ないよ」
 それは、子供に語って聞かせるようなひどく優しい響きであった。それにね、とベレスは続ける。
「君がそう願うように、私も君と生きていきたいと思っているんだ」
 そうして得たものを、今度はこの子にも与えてあげて欲しい。そう言ってベレスは婉然と微笑んだ。
 ──ああ、この人は眩し過ぎる。
 ディミトリは漠然と思惟する。彼女はいつだって明るい場所にいて、闇の中からこの身を引き上げてくれるのだ。とても眩くて尊いその人は、自分の隣で共に生きたいと言ってくれる。本当に、自分には過ぎた幸福だ。
「……ありがとう」
 万感の思いが詰まった一言だった。ベレスには返したいものが沢山あるというのに、返すどころか募り続けていく一方だ。この人には本当に敵わない、そう思わされる。
「──さて、これから職務内容を見直さなければな。お前には健やかでいてもらわなくては」
 ベレスと、生まれてくる子のためにも、彼女の負担は最小限にしなくてはならない。できればその時までずっと安静にして貰いたいところではあるのだが、大司教という立場上そうはいかない部分もある。頷いたベレスと職務の再編について擦り合わせを行おうとした時、ディミトリは廊下に響く慌ただしい足音を聞く。この足音には覚えがあった。ここにやって来た時の自分である。
「先生!!」
 勢い良く開かれた扉と共に、男女の声がぴたりと重なった。息急き切って飛び込んできたのは二つ分の人影である。
「って陛下!? 飛竜より早いってどういうことですか!」
「わ、私達も急いで来たのですが……」
 扉の向こうから現れたのは、旧友であるシルヴァンとイングリットである。二人はそこにいるはずのないディミトリの姿を認めて盛大に驚いているようだった。二人もまた、知らせを受け取ってすぐにそれぞれ自領を発ったのだろう。空路を往くため、飛竜と天馬はフォドラにおいて最も速い移動手段であり、この二人が一番に到着するのは必然であるはずであった。
「ああ、休まず走ったからな」
 その問いに対する答えを、ディミトリは何でもないことのように寄越す。
「あー、そんなことだろうとは思いましたよ全く……。フェルディアからガルグ=マクまでどんだけあると思ってるんですか」
 深い溜息と共にシルヴァンはその甘い容貌を呆れに歪めて首を振った。無茶し過ぎなんですよ、と諫言が続く。
「王都へお迎えに上がったのですが、既に発たれた後でして……だからこそ急いだのですが」
 イングリットも眉を下げ、もっと御身を大切にして下さいと苦言を呈する。二人とは久々に顔を合わせたのだが、再会早々随分な言われ様である。それだけ心配をさせたのだろうという自覚はあるので、気まずさと共にその言い分は甘んじて受けることにした。できる限り早く大修道院に赴き、ベレスの容態を伝えようとしていたのだろう。
 二人は寝台の上で身を起こしているベレスの姿に安堵の息を吐く。お久し振りですの言葉にベレスは笑みを浮かべて応えた。
「で、どうなんです? 先生の容態は」
 気になっていたであろうその内容をシルヴァンが切り出す。どこか擽ったいような気持ちで、ディミトリは自分も知ったばかりの内容を彼らに告げた。
「ああ、子を身籠っているそうだ」
 差し当たっては職務の調整を、と続けようとしたところで、反応がないことに気付く。シルヴァンとイングリットは瞠目し、ディミトリとベレスにそれぞれ視線を向けると、やがてその表情をぱっと華やがせた。
「おめでとうございます!」
「いやー、ついに陛下が父親になられるんですねぇ!」
 向けられる祝福の言葉は、まるで自分のことであるかのように喜ぶものであった。その声音はとても明るく嬉しそうなものであり、妙に照れ臭く感じてしまう。夫婦は顔を見合わせると面映ゆく笑った。
 大修道院を訪れてから落ち着く暇のなかったシルヴァンとイングリットであったが、ようやく一息つくと話題は今後の教団の運営へと移る。身重の体であるので、ベレスにはできる限り安静にして貰わなくてはならない。首長であるが故に重要な場への出席は避けられないのだが、どうにかその負担を減らすことはできないだろうかと意見を出し合う。
 会談を行うにあたってガルグ=マクとフェルディアを互いに行き来していたが、今後はガルグ=マクを訪う形で統一すべきだろうかと検討する。しかし、ガルグ=マクへ移動するのも容易なことではなく、国王が王都を空ける期間が増えることも避けたいところではある。どうしたものかと勘案するが、旧友二人は困ったような表情を浮かべている。やはりそう簡単に事は進められないかと考え倦ねていると、シルヴァンが焦れた様子で口を開いた。
「あのー……前々から言おうと思ってたんですけど、お二人は一緒に住むべきじゃないですかね」
 告げられたのは思いもよらない一言であった。しかし、それは互いの立場上避けるべきことではないだろうか。だからこそ、今までフェルディアとガルグ=マクでそれぞれ暮らしてきたのだ。
「一緒に住んじまえば、今回みたいな時でもすぐに駆け付けられますし。お二人が公私を切り分けていることは、国民が一番よく分かっていますよ」
「これから御子が生まれるにあたって、陛下がお傍にいる方が先生も安心できると思うんです。それに、どうしてお二人は一緒でないのかと聞かれることも多く……」
 シルヴァンの言に、イングリットが続く。予想だにしていなかった内容にディミトリはすっかりと戸惑ってしまう。あーやっぱ聞かれるよなそれという言葉から察するに、彼らがその問いを受けたのは一度や二度ではないらしい。
 これからベレスの体調が不安定になることが分かっているので、目の届く場所にいて欲しい気持ちはある。それに、何より傍で彼女を支えてやりたいと思う。共に暮らすことが一番であるとは分かっていたが、現実的には難しいことだと考えていた。しかし、まさか一緒になることをこんなにも望まれているとは思ってもみなかったのだ。
「ま、反対する人間も多少はいるでしょうけれど、お二人は共にあることを望まれてるってことですよ」
 国王と大司教である前に、夫婦なんですから。
 その言葉に、夫婦は面食らった様子で互いに見つめ合う。国王と大司教という立場を気にして、あれこれとかかずらっていたのはどうやら自分達だけだったらしい。未だ困惑したままではあるが、今後の方針は決まったようなものであった。そうすることを許されているということが、民がそれを認めてくれているということが、嬉しくそして温かい。自分は果報者であると、改めて実感する。
「セテス殿に相談しなくては」
 目まぐるしい展開に目を瞬かせながら、ディミトリは確たる意思を以て呟いた。



 それは、久々に見る夢であった。
 悪夢に魘されることは往々にしてあったが、死者の呼び声や戦火の記憶でない夢を見るのは、実に久しいことである。どこか不思議な気持ちで、ディミトリは己が夢の景色を見つめる。
 夢の中で、ディミトリとベレスは仲睦まじく微笑み合っていた。その間から、ひょっこりと顔を出したのは幼い子供である。眩いばかりの金髪をさらさらと揺らしながら無邪気に笑うその子供は、生き写しと言っていいほど自分によく似ていた。夫婦は愛おしそうに子供を見つめている。和やかな空気を感じながら、ディミトリはどこか満ち足りたような温かい気持ちで目を覚ました。とても穏やかで、清々しい起床であった。
 普段こういった夢を見ることがないからか、その内容はひどく鮮明に焼き付いている。珍しいこともあるものだと思いながら仕事に勤しみ、ある程度のところで目処を付けると妻の待つ私室へ向かった。来訪を出迎える柔らかな笑顔は、溜まった疲れを解きほぐしていく。夫婦水入らずで茶を嗜みながら、ディミトリはその日見た夢の内容を妻に話した。取り留めのないその話を、彼女は頷きながら聞いている。
 カミツレの馥郁たる香りが、ゆるりと部屋を満たしていく。ティーカップから立ち上る湯気の向こうで、ベレスが白い頬を桃色に染めていた。穏やかな時間を楽しみつつ、ディミトリは夢に出てきた子供の姿について口にする。夢の話ではあるが、よくもまああそこまで自分に似たものである。果たしてそれは、逸る心が齎した夢想であるのか、それともやがて来る現実か。
 できれば俺ではなくお前に似て欲しかったのだがと苦笑を漏らすディミトリに、それはとても楽しみだと、すっかり重くなった腹を撫でながらベレスは莞爾として笑った。