生きるということ

FE風花雪月ディミレス

 ぐずり、と鋭い切先が肉を裂き埋まっていく感触は、よく知っている。幾度も幾度も繰り返してきた。焼け付くような痛みは感じたそばから怒りに変じ、憎悪の炎にくべる薪となってより激しく燃え上がるのだ。
 進め。進め。進め。
 剣が肉を裂く。鮮血が噴き出る。槍が腹を貫く。目を失くす。それがどうした。そんなものはこの足を止める理由にならない。手足をもがれようものなら這いずってでも、この命ある限り進め。そうして、そうして。
 あの女を、殺すのだ。
 薄汚れた壁に傷付いた身を預け、明け方ほんの少しだけ眠る。朦朧とした意識を手放して、手放したそれが戻ってくるたびに、覚えるのは確かな落胆。また生き残ってしまったという絶望は、死なない程度の力加減で首を絞め上げる。
 痛みは生きている証なのだとしたら、何故この身はまだ痛みを覚えるのか。目を開けるたびに訪れるその冷たい衝撃を、もう何度繰り返してきただろう。一体いつになれば、どうすれば彼らに報いることができるのか。許さんとばかりに、死に損なった体が進めと咆哮する。心臓が強く拍動し、この身は再び目を覚ます。
 目を開ける。薄汚れた天井がある。少し冷えた空気と、目を焼くように眩しい光が朝の訪れを告げていた。よく知った絶望がするりと胸の内に入り込み、冷たいその身を寄せてくる。今日もまた、死に損なった。生き残ってしまった。
 体は鈍く重く、頭の中は靄がかかったように薄ぼんやりとしている。どうやら血を流しすぎたようだと、冷静な自分が過去の経験から当たりを付ける。そう思い至った途端、肩口に強烈な痛みが襲いかかってきた。
「……っ!」
 傷は存外に深いらしい。思わず呻くと、傍にある何かが弾かれるように跳ね起きた。現れたのはよく知った容貌。眠っていたのかとろりと蕩けていたその目は途端に瞠られ、ベレスは表情をそのままにじっとこちらを見つめていた。
「先生?」
 彼女はあまり多くを語らない人であるが、それにしても様子がおかしい。不審に思い問いかければ、円い瞳から大粒の雫がぼろりと零れ落ちた。
「……ディミトリ」
 か細い声が名を呼ぶ。ゆらぎを伴ったその響きが、感情を波立たせて大きく揺さぶっていく。何が起きているのかは依然分からぬまま困惑しきりであるのだが、辛抱堪らなくなり身を起こした。
 肩の傷が痛みを訴える。しかしそれがどうした。身を焼く焦燥のままに華奢な肩を掴んだ。涙の幕で潤んだ瞳がゆらゆらと頼りなく揺れている。
「どうしたんだ、先生。一体何があった」
 何故泣いているのか、その涙をどうすれば止められるのか。ベレスが涙したことといえば、父を喪くした時くらいだ。そんな彼女が今、泣いている。触れた肩が微かに震えていることに気付いて、体の奥深くからかっと熱が突き抜けた。
 何が、誰が、彼女の心をこれほどまでに揺さぶったのだろう。ベレスへの憐憫の裏で、得体の知れない昏い感情がうねっている。こんな思いを抱くことは間違っているというのに、一度湧き上がったその念は止めることができない。
「よかった、目覚めた……。君が生きていて、本当によかった……!」
 震える声で繰り返しながら、ベレスはぼろぼろと涙を零した。朝日に煌く透明なはまるで宝石のように美しいと、不謹慎ながらにも感じてしまう。
 状況を俯瞰できるようになって、ようやく今までの経緯を思い出す。戦いの最中、ベレスに迫る刃に気付いて咄嗟に身を躍らせたのだ。悲鳴染みた声音で名を呼び、敵を斬り伏せたベレスの姿が鮮烈に残っている。そうして一帯を殲滅した後の記憶がないあたり、恐らく血が足りなくなって倒れたのだろう。目覚めた時にベレスが傍で突っ伏していたのは、ずっと様子を見守っていたからに違いない。
「君を失うかと思ったら、どうしようもなく怖かった……!」
 溢れる思いは止まらない。それを受け止めながら、自分はベレスからこんなにも透明で綺麗なものを向けられる存在なのだと気付かされる。
 目を閉じて、再び開くことができた時の絶望を思い出す。また死ぬことができなかったという深い落胆。もし、願っていた通りに目が覚めなければ、彼女は今以上に泣いていたのだろうか。だが、生きていなければ涙を拭ってやることも、震える小さな体を抱き締めてやることもできないのだ。
「……ああ、そうか」
 今更になって潔く思い知る。まだ、死ねない。生きる理由がここにある。掻き抱いた温もりと、体に走る鋭い痛みに実感する。


 ああ、俺は生きているのだと。