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声が聞こえる。
それは耐え難い苦痛に漏らした悲鳴であり、報復を託す怨嗟の声であり、死にたくないと許しを乞う嘆きであった。ああ、よく知っている。ただ一人生き残ってしまったあの日から、夜毎幾度も聞き続けた声達である。
放たれた火に木々や家屋は無残な音を立てて燃え落ちた。訪れる者を出迎えていた美しい花々も、全て炎の海へと呑まれ消えてしまった。紅蓮の炎は力尽き倒れ伏す者を容赦なく焼き、その日、人が焼ける時に発するおぞましい悪臭を知った。この世に地獄があるのならば、目の前に広がる光景こそがそれなのだろう。
あの日、ただ幸福に生きてきた一人の少年は死んだ。父と、継母と、朋友と、いつも傍にいた騎士達。自分を取り巻く世界が死ぬということは、自分もまた死ぬということだ。たとえ肉体がまだそこにあろうとも、宿る魂がなければそれは人ではない。この身は亡者であった。体は生きていようとも、心は死んだ彼らと共に在った。ただひたすらに、彼らの無念を晴らすためだけに肉体を生かした。そうあらねばならないと、それこそがこの身の為すべきことであり、自分だけが彼らと同じ場所へ渡ることのできなかった理由なのだと、そう思い続けてきた。
死体の群れを歩いている。
見知った顔達が事切れ、力を無くして横たわっている。彼らは必死に助けを求め縋ってくる。その無念を、苦しみを、分かってやれるのは自分だけだ。知っていながら救いを求め伸ばされる手を拒むことは、身を切るような痛みを伴った。
燃え盛る業火の中を一人歩いている。足元の屍を踏みしだき、苦しいと呻く声を黙殺して進んでいる。地獄の中をただ一人生き残った者として、重い体を引き摺りただ前へ。彼らの怒りを、無念を置き去りにして、見捨てていく。それは自分のために生きると決めてから、夜毎繰り広げられている光景であった。
全身を槍に貫かれるかのような自責が、ずっとこの身を苛んでいる。ふと聞こえたどうしてという声は、果たして死者が放ったのか自分が発したのか。激しく胸を掻く焦燥に、やはり彼らを捨て置けないという思いが湧き上がり、振り返る。
──しかし、それは背中を包み込む柔らかな感触に遮られた。
この感触を、温もりを、知っている。手放すばかりの人生で、初めて欲しいと希い、失いたくないと思ったもの。優しく背を抱くこの人と共に生きるため、自分は歩き始めたのだ。止まりかけた足を動かす。大丈夫だ、まだ自分は歩ける。
灯りの消えた部屋の中、ベレスは男の背を抱いていた。広い寝台の上で身を寄せ合って眠っていると、決まって苦しげに呻く声がする。ごく小さく、ともすれば衣擦れの音に掻き消されてしまいそうなほどに微かなその響きは、必ずベレスの耳に届き彼女を緩やかに眠りから引き上げる。そうしてベレスが目を開けると、必ず悪夢に苛まれるディミトリの姿があった。
それは悪夢の姿をした、彼自身の抱える自責と後悔の念なのだろう。知らずのうちに、彼は夜毎自分を苛んでいる。抱え続けたその思いを、捨てることができればどれほど楽だろうか。しかし、それができないのが彼という人間なのだ。だからこそ、ベレスは毎夜目を覚ましディミトリをそっと抱き締めるのだ。
その苦しみが少しでも和らげば良いと願いながら腕を回し身を寄せる。次第に落ち着いていく寝息に、ようやく眼裏に広がる昏い夢が去ったのだと安堵した。
できることならディミトリには悪夢に魘されることなく眠って欲しいと思うが、悪夢の根源こそが彼自身の根幹であるので、彼を呼ぶ声が消えることはないのだろう。これから穏やかな夢を見ることが増えていこうとも、彼を苛む悪夢は消えないと知っている。だからこそ、ベレスは心に決めていることがある。
絶対に、ディミトリよりも先に死んでやるものか。
時に悪夢となり彼を呼ぶのは死者達の声であり、忘れることのできない過去である。ならば、自分だけは絶対にそちら側に渡ってやるものかと思うのだ。
もしもベレスが死ねば、ディミトリが見る夢の中に加わって、過去の亡霊として彼を呼ぶことになるのだろう。そんなこと、絶対に許してなるものか。彼を苦しめる存在になりたくないという思いもあったが、何より自分が『過去』の存在に加わることが嫌だった。自分はディミトリの今とこれからを、丸ごと独占して手放したくないのだ。彼が見る夢も、いつか幸せな記憶に書き換えてしまいたい。そうして毎夜されることなく健やかに眠れるようになればと願う。
これは、彼の中に住まう死者への宣戦布告である。ディミトリの過去は覆しようがなく彼らのものである。輝かしく美しい、幸福な記憶だ。大切な人々であり、だからこそ死して彼の中に永劫住まう亡霊となった。だが、彼の未来は自分のものだ。過去の亡霊に渡しはしない。絶対に、死んでなどやるものか。
決意を表すかのように抱きすくめる腕の力を強くして、ベレスは瞼を下ろす。そこにある温もりを感じながら、今宵も再びの眠りに落ちるのであった。