色は匂えど

サモンナイト4その他

特に相手は決めていません


「あんたもさぁ、そろそろ身だしなみってものに気を遣いなさいよ」
 唐突に告げられたのはそんな一言であった。幼馴染は呆れた様子を隠さず、胡乱げに細めた目をじっとりと向けている。
 随分と心外なものだと思う。店に立つ者として清潔感溢れる格好を心がけてきたので、その言葉には納得がいかない。それとも、自分が気付いていないだけでだらしない部分があったりするのだろうか。
「毎日お風呂入って服も変えてるわよ? 変な部分はないと思うんだけど……」
 思ったままに答えたが、それはお気に召さない返事だったらしい。幼馴染の少女は苛立った様子で声を上げながら、わしわしと自分の髪を掻き乱した。本人の気質同様ぴんぴんと跳ねた長い髪が、あちらこちらに元気よく跳び回る。
 力強く机に手を突き、立ち上がった幼馴染は、そのままの勢いで眼前に指を突き付けてくる。やや吊り上った眦と張りのある声色に、ダメ出しが始まるのだろうということはすぐに分かった。
「いい? あんたも女の子なんだから化粧くらい覚えなさい! そんなだとあっという間におばちゃんよ?」
「うっ、おばちゃんは嫌だ……けど、お化粧ってどうしていいのかよく分からないのよね」
 女の子なのだから、興味はある。一体何から手を付ければいいのか分からないが、大人の女性の象徴のような感じがして憧れのようなものはあるのだ。そういう『少し背伸びすること』について、この幼馴染はとかく聡かった。
「リップはどうかしら? はっきりとした色味より、淡い色の方が似合いそうねー」
 そう言うや否や町の方まで連れ出され、あれよあれよといううちに手には薄桃色の口紅が握られていたというのがこれまでの顛末である。
 何となく勇気が出なくて、引き出しに仕舞っては手に取りを繰り返す。しきりに催促をしてきた幼馴染も、ぱっとしない返事をしていくうちに諦めたらしく、今はすっかりと忘れてしまったように口にしなくなった。
 自室でひっそりと鏡に向き合い、何も色が乗っていない自分の顔を眺める。毎朝顔を洗うときに見る、良く知った顔貌だ。
 口紅の蓋を開け、中身を繰り出した。手の中で、淡く控えめながらも鮮やかな色彩が顔を覗かせる。今日こそは、今日こそは。と、おそるおそるその先端を、自らの唇に押し当てた。
 確かに触れる、やや硬いその感触。ゆっくりと滑らせると、唇の上に薄らとヴェールを落としたかのように、仄かな色が宿るのだ。上唇と下唇、一度ずつなぞって、紅を離した。そして、鏡の中をまじまじと覗きこむ。
 そこにあるのは、大人と子供の狭間にいる少女の姿。
 ほんのりと染まった口元は、決して浮くことなく調和していた。毎朝見ていたはずの顔が、少し知らないものに見える。それはとても不思議な感覚で、我知らず、鏡の中の少女は唇に手を伸ばす。どきどきと、胸の鼓動がほんの少しだけ早くなる。内側から甘痒く引っ掻かれ、むずむずとする。それは紛れもない高揚だった。
 ふとそんな自分が照れ臭くなり、我に返る。子供の頃に作った秘密基地の中で、ひっそりと息を潜めている時の感覚に似ていた。
 誰かに見られる前に早く落としてしまおう。恥ずかしいような、面映いような気持ちで席を立ち、洗面所へ行こうと自室のドアを開けたその時だった。
 目の前に落ちる、長い影。つられて顔を上げると、そこに居たのは一番見て欲しいような、見て欲しくないような、そんな人物がいた。
「な、なんでここに」
 問いかけた声は少し裏返っていた。気付かれている、気がする。見られている、気がする。自意識過剰なだけかもしれないが、口元をちくちくと刺す視線を感じてしまうと、猛烈な羞恥が湧き上がる。かっと頬に血が通って、薄い皮膚の下で大輪の花が咲くように、鮮やかな朱が広がっていくのが分かった。頬が熱い。恥ずかしさに耐えかねて、あらぬ方向に視線を泳がせる。
 大人と子供の境界が、ほんの少し滲んで混ざり合っていった。