ひとでなしの抱く夢

FE風花雪月ディミレス

 ゆらりゆらりと微かに揺れる揺籃の中には温かな静寂が満ちていた。降り注ぐ日差しは薄衣のように小さな体を包み込み、微風が柔らかな額を撫でていく。ゆらり、ゆらりとその世界を揺り動かしながら、女は円やかな瞳を柔和に細めた。
 この世の全てが彼を慈しみ、祝福する。健やかであれと願い、見守っている。極小たる世界の中心で、赤子は何者にも侵すことのできぬ安寧を揺蕩っていた。
 ぱたぱたと近付いてくる微かな足音に、女はゆるりと顔を上げる。続いてどこか急いた様子で扉が開き、現れたのは新緑を濡らす朝露のような髪の女であった。
「あら先生、お疲れ様~」
 振り返った女は、肩ほどに切り揃えた髪をさらりと揺らしながら来訪者へ微笑みかける。そうして、自分が今まで占めていた赤子の側をベレスへと明け渡した。
「いつもありがとう、メルセデス。様子はどうだった?」
「とってもよく寝ていたわ。私もつられて眠ってしまいそうだったもの~」
 二人で揺籃を囲みながら、くすくすと笑みを零す。
 以前はこうしてフォドラの地図を囲みながら神妙な面持ちで軍議に勤しんでいたものだが、今は違うものを見つめている。世界が変わったのだと、新たな時代の訪れをつぶさに感じるのだ。
 過渡期を迎えたフォドラを支えるべく、ベレスは大司教として日々職務に邁進している。産褥明けて間もなく復帰へと踏み切ったベレスを心配する声はあったが、まだ体制が安定しない教会において大司教とはとても巨大な梁である。セテスが補佐としてベレスの不在を支えているが、今までの運営もレアの裁量による部分が大きく、大司教なしにして革新を進めることは難しい。それに、自らが先頭に立って感じたいと思うのだ。フォドラに吹く新たな風を。
 子の側にずっと寄り添ってやれないもどかしさはあれど、この子が生きる世界をより良きものにしていく礎を築いているのだと思えば、多忙な日々を乗り切る糧となる。ごく僅かな間隙であろうと時間を見付けては時折子の元を訪い、その顔を見つめる時間が堪らなく好きだ。
 悪魔と言われたこの身が、子を成すとは思いもしなかった。親となって改めて思うが、男手一つで育ててくれたジェラルトには本当に頭が上がらない。日記を読むに自分はとても変わった子であったから、苦悩も多いものだっただろう。実に愛されて育ったのだと感じる。その愛を、自分はこの子に注げているだろうか。
 ベレスの思惟に呼応するように、親譲りの青い目が開く。抱き上げてやれば、どこにそんな力があるのかという強さでしがみ付いてくる小さな手。伝わる熱。日毎増していく確かな重み。ただそこに命があるだけで嬉しく愛おしい。
 不思議な感覚だった。自分はこの子の人となりを全く知らないのに、愛情を確かに抱いている。それは愛しい人と血を分けて生まれた生命だからなのだろうか。
 自分と同じくやや急いた足音は、確かな重みを伴って届く。それだけで誰が来たのかが分かってしまい、ベレスは口元を綻ばせた。
「お疲れ様、ディミトリ。丁度今起きたところだよ」
「そうか、あまり見てやれなくてすまない」
 互いがどれだけ多忙な身分かはそれぞれが一番よく知っている。ベレスが首を振ると、そのために私達がいるのよ~。とメルセデスが微笑みながら頷く。
「抱いてあげる?」
 腕の中の子を見せて問えば、ディミトリは窮した様子で言葉を詰まらせた。彼は時折、こうして躊躇いを見せることがある。我が子を大切に思っていることはその眼差しを見ていれば分かる。ただ、一線を引いたように距離を感じるのだ。
 じっと見上げるベレスの真っ直ぐな視線に、自身が抱えたものを気取られていると感じたのだろう。ディミトリは眉を下げながら重く口を開いた。
「こんな俺が、人の子を真っ当に育てられるのか……考えて、怖くなるんだ」
 望んで授かった命なのにな、と自嘲する声。ああ、彼は。未だ自分が怖いのだ。
 抱き締める腕が欲しい。この孤独で臆病な男が愛おしい。優しさ故に繊細なこの男に寄り添いたいのだ。夫婦という肩書きを得た理由を改めて思い出す。その関係性も今、新たなものへと変わろうとしていた。
「私も君も、何が正解かなんて分からない。だから、できる限りこの子を愛してあげよう。間違ってしまった時は謝ろう。そうして一緒に、家族になりたいんだ」
 子を差し出すと、おっかなびっくり抱き上げる大きな手。戸惑いつつも手つきに危なげがないのは、彼が赤子について書物を調べ、人に教えを乞うたからだ。
「温かい、な」
 熱の滲む声音で呟くディミトリを、ベレスは赤子もろともぎゅっと抱き締める。
「君が、私にくれたんだ」
 命とは、とても温かいのだ。