東の空より生まれしものは

FE風花雪月その他

 東の空が白む頃、凛烈たる寒気に包まれたフォドラに一つの産声が上がった。父譲りの眩い金髪に透き通った青の瞳、そして王家に伝わる紋章を持って生まれた王子は、玉のようと言うに相応しく誰からも愛されて健やかに育っていった。
 輝かしい生を受け、幸あれかしと願われてきた彼の人生は、歳を重ねるごとにいっとう暗い影を落としその身を蝕む。陽だまりの温い記憶を黄昏に染めて、復讐の獣は人の皮を破りて咆哮を上げたのであった。
 春の訪れと共に、土煙を上げながら現れたのは紅き鎧。彼方より飛来した黒鷲が両翼を広げると、瞬く間にフォドラの大地は巨影に包まれてしまったのである。
「急な出立になってすまない」
 速度を上げる馬車は悪路を行く。小石を踏んでしまったのか、激しく跳ねた車体はひどい音を立てたが、その声音は届いたらしい。褐色の巨躯を微かに揺らしながら、寡黙な従者はいえ、と答える。
 快適性を捨て、速度のみに特化した走りは心地悪いことこの上ない。盛大に揺れる馬車の中に、まさか王家の末裔が乗っているとは誰も思わないだろう。
 彼らが行程を急ぐ理由はただ一つ。『王家最後の人間になってしまったから』である。血が絶えることへの危機意識というよりも、王族が容易く殺されてしまった状況そのものが異常であると言えた。
 摂政である叔父が殺害されたという報に、王子たる青年は最小限の荷物と供だけを伴いガルグ=マクを発った。士官学校の卒業も迎えられず、誰にも挨拶すら告げないままに、彼は馬車へと飛び乗った。
「別れくらいは告げておきたかったんだが……先生の捜索も手伝えていない」
 置いてきたものは沢山あった。馬車に持ち込んだ中で私物と言えるような物は、腰に佩いた剣と荷台に積んだ槍くらいのものだろう。剣帯に結び付けた飾りが、馬車の動きに合わせて揺れていた。
 学級を挙げて誕生日を祝われ、皆で作ったのだと贈られた時の記憶は彼の中で鮮明に焼き付いている。密やかに準備をしていたのだと、朗らかに笑う皆の表情がとても好きだと思った。とても賑やかで温かくて──楽しかった。
「ドゥドゥー。これからきっと、俺達はまた孤独になる」
 覚悟を伴った重い宣告に、従者は静かに頷いた。王族として生まれ育ってきた王城は、青年にとって心安らぐ場所にはならないのだろう。依然として王都で何が起きているのかは分からないままであるが、叔父が殺されたのはこれから起こ何かの前触れでしかないのだろうと彼は理由なく確信していた。
 かつて、王城の中で二人は孤独であった。誰にも頼れず、気を許すことなく、互いだけをよすがに生きてきた。それが当たり前だったのだ。ただ元に戻るだけだというのに、どうしてこんなにも心細さを感じてしまうのか。
 温かい場所に身を置きすぎた。そこは自分の居場所ではないというのに、成すべきことを成さぬままこの様だ。青年が剣帯の飾りを握り締めると、声が降る。
「殿下にはおれが付いています。苦も楽も分け合いましょう。誕生日は賑やかとはいきませんが──ささやかに祝い、心を込めた贈り物をしましょう」
 至極真面目な表情で、従者は告げた。彼なりの軽い冗談であるのか、それとも本気で言っているのかは判断が付きかねたが、どうも気を遣わせてしまったようだということは分かる。愚直な男であるが、そんな彼にこそ救われている。
「ああ、そうだな。俺もお前の誕生日は思い切り祝うとしよう」
 果たして上手く笑えているだろうか。姿見がないので分かるはずもない。窓掛けを持ち上げれば硝子に映った冴えない顔と、空を覆う果てなき暗雲が見えた。



 曇天が泣いている。
 天から滴る雫が全身を洗い流そうとも、赤黒くこびり付いた血が落ちる気配はない。じっとりと纏わり付いた服が重い。全身が重い。
『殿下、必ず本懐をお遂げください』
 頭の中に浮かぶのは、傷だらけの体で牢を破り、恭しく頭を垂れた従者の姿。そしてその最期。夥しい血を流しながら主君を隠し通路へと押し込むと、彼は絶望的な戦力差を前にしてもなお立ち塞がった。生き残れる要素など、なかった。
 死に損ない、標もなくただ彷徨い続けている。使い古した剣を捨てて真新しい剣を拾い、今しがた作り上げた死体の腰から剣帯を外した時、ふと記憶が蘇る。
 贈り物をすると言っていた心優しい青年は死んでしまった。死んでは物など贈れるはずもない。もし、この命こそが贈り物なのだというのならば。
 ──こんな贈り物など、欲しくはなかった。
「……殺してやる、一人残らず」
 東の空が白む頃、落ちたのは怨嗟の呟きと剣の切先。生まれしものは姿を留めぬ肉塊と憎悪ばかり。復讐の刃を携えて、妄執の王子は泥濘へ足を踏み出した。