Fleurage

メルクストーリア

所長がお花になったアリュームちゃんの観察日記を付ける話
※とても電波で色々アレなので何でも笑って許せる方向け


 彼女はとても変わった子だと思う。普通、人間は未知のものに遭遇した時は警戒するであろうに、彼女はまるで逆なのだ。未知を喜び、受け入れる。そうして時折反発されて痛みを受けては、また未知へと手を伸ばす。
「いい加減、その見つけたもの何でも食べる癖直したほうがいいと思うけど」
「私達は発見と共に生きています。私はできる限りそれを自分の体で知りたいんです…………うっ」
 言ったそばから彼女の顔が青ざめていく。言わないことじゃない。



 癒術士の護衛兼国外の品種調査として旅に出ていた研究員から、近日中に帰国するとの報が届いてから四日後、研究員アリュームは三ヶ月振りに研究所に現れた。
「所長に、見せたいものがあります」
 そう言った彼女の左目には、出国した時には付けられていなかったはずの眼帯が装着されていた。
 負傷したのか、感染症を患ったのかは分からないが、随分と物々しい格好だ。
 抱え持っているノート(周囲は毒味帳と呼んでいる)を見るに、興味深い新種でも発見したのだろうか。連れられた別室で、彼女はひどく真剣な面持ちになると、片目を覆っていた眼帯を外した。
 眼帯の下にあったのは、一輪の花。薄紫色をした、幾重にも花弁が重なった花。何も言わず、アリュームはぐしゃりとその花弁を握り潰す。散った花弁が床の上にいくつも舞い落ちていく。そして目の当たりにしたのは、目を疑う光景だった。潰れた部分から花が再生を始め、あっという間に元の姿へと復元したのだ。
「何、これ」
 この状況を表せる適切な言葉が見付からなかった。左目に花を生けたまま、彼女が口を開く。
「恐らく、国外で食べたいずれかの品種の影響です。ですが、私が国外調査に出てから食べた品種はこれだけあります」
 机に広げられたノートは、国ごとに分けられたものが数冊に渡っていた。果実のスケッチ、見付けた場所、その食味、直後に起きた体調の変化。それらの情報が、膨大な数で書き記されている。
「現状の判断材料はノートと、この花のみです。これだけで特定することはとても困難だと思います。なので……」
 この花をこのまま育てようと思います。凛とした声で、はっきりと彼女はそう言った。
「つきましては、所長に観察をお願いしたいと考えています。こんなことにお時間を取らせてしまうのは恐縮ですが、事態が事態だけに、他の研究員に依頼するのはまずいかと思いましたので」
 人に寄生する花など初めてのことだ。少なくとも、科学の国で発見されたことはない。このまま彼女を苗床として花が育ち、結実すれば品種の特定につながるのかもしれないが、その時彼女がどうなっているのかは想像がつかなかった。
「分かったよ。キミを治す手がかりになるかもしれないしね。まずは、その花の構成物質を調べた方がいいと思うよ。あとは、キミの体にどんな異変が起きているのかを把握しなくちゃいけないか。採血も必要なんじゃない?」
 すると、おもむろにアリュームは採集用の鋏で自身の指を傷付けた。いきなり何をするのかと思えば、鮮血の代わりに彼女の指先から零れたのは、薄紫色の花弁。
「もう、採血はできないんです」
 調べてみて分かったのは、彼女に寄生している花の構成物質は他の植物とほぼ変わらないこと。医療研究班にも助力を仰ぎ、解析した結果、彼女の体にはもう血液が残っておらず、体液は水に置き換わっていること。全身に根が張り巡らされ、既に体に癒着してしまっていることだった。簡単に設問を作って答えてもらったが、精神的な部分については何一つ所見が見られなかった。
 正直なところ、現在のこの国の技術では手の施しようがなかった。何をどうしていいのか分からないのだ。アリュームの言うように、この花を育ててその実を解析してみるしかないのだろう。体が花に寄生されていること以外、彼女は他者と全く変わりがなかった。そのことが、起こっている事態を非現実的なものに思わせる。
 変化は、唐突に訪れた。昼食を食べて、研究を再開した彼女は程なくしてそれを全て吐いてしまったらしい。その日から、彼女は普通の食事を摂ることができなくなってしまった。無理やり食べても、体が受け付けてくれないのだ。食事を摂る代わりに、アリュームの腕には点滴の管が通される。食事の代わりに、今度はよく水を飲むようになった。
「味覚は不要なのか、何を食べても味がしなくなりました」
 淡々と、彼女はそう告げた。変化の内容からして、人から植物へと徐々に近付いているような気がした。この先、一体どんな変化が起こるのだろう。事態は一気に深刻さを増した。
 花にはまだ、変化はなかった。初めて見た時と同じように薄紫の花弁を誇示するように咲き誇っている。様々な研究機関が彼女のもとを訪れ、ありとあらゆる方法を試してみるが、状況が好転することは一度もなかった。
「オデット、これ落としたわよ」
 落とした書類の一部を、アリュームが拾い上げて手渡す。礼を言いながら受け取ったオデットは、びくりとその手を震わせて目を丸くした。
「なんや、アリュームの手はほんに冷たいんやねぇ」
 それは、次に訪れた変化であった。抜け落ちたのはその体の温もり。変化することがなくなれば、感じる温度も失われた。彼女の体温は、常に低い部分を停滞し続けていた。少しずつ、人間たる部分をそぎ落とすかのように、変化は少しずつ進んでいく。
「熱いものを触っても気付けなくなってしまいました。でも、触ったところで火傷になる訳でもないので、不便ではないですが、それを不便ではないと認めるのもいささか複雑です」
 彼女は相変わらず淡々と自身の状況を報告する。異常な事態が自身の身に起きているというのに、心の揺らぎが全く見られないのが不思議だった。
「キミは、この状況が怖くないの?」
 もしかしたら、気付かないうちに精神的な部分にまで影響が及んでいたのかもしれない。単純に気になったのと、彼女の状態を確かめるために問うたことだった。
 瞬間、アリュームの顔がぐしゃりと歪む。堪えきれなかった感情が溢れ出るように、涙が一筋、そしてまた一筋、頬を伝い落ちていく。突然のことに、少し驚く。
「……怖いです。少しずつ自分が自分でなくなっていくのが。あとどれくらい、私は私でいられるんだろうかと、ずっと考えています」
 そう絞り出した声音は、少し震えていた。すみません、と一言零して、彼女はぐっと目を拭った。
「すみません、取り乱してしまって」
 頭を下げてから、アリュームは冗談か皮肉か、植物に寄生された人間の心を研究できることなんてそうないですよ、何でも聞いてくださいと、いつもの凛とした声音でそう言った。
そこでようやく、彼女がどれだけの虚勢を張り続けてきたのかということに気付いたのだった。彼女は今までこの不安を抱えて耐え続けてきたのだろう。だが、その不安を打ち消す方法など、誰も持ってはいなかった。
 変化はそれでもなお訪れる。花の様子には特に変わりはなかったのだが、変化していたのは他の部分だ。初日と同じように、見せたいものがありますと言って、アリュームは自身の着ている上着を寛げた。
 花に続き、今度は胸元の中心部からいくつかの枝葉が伸びて生い茂っていた。採集し、解析にかけてみたが、やはり手掛かりになるようなことは一切分からなかった。
 それから、アリュームはひどく眠そうにすることが増えた。耐えかねた時は席を外して仮眠を取っていたが、その頻度は少しずつ増えていき、生活に支障をきたし始める。ついに、アリュームは長期療養として病気休暇をとることになり、病室での暮らしが始まった。一日のうちを占める睡眠時間は、半分を超えていた。
「眠ると、もう目が覚めないような気がして少し怖いです」
 眠気に目を開けるのを辛そうにしながら、アリュームはそう零した。そのままゆっくりと眠りに落ちていくと、彼女は穏やかな寝息を立てた。血の気が感じられない彼女の肌と相まって、その寝姿はまるで死んでいるかのように見えた。
「アリューム、調子はどう」
 彼女が一日の大半を寝て過ごすようになった頃、その体は更なる変質を遂げていた。目を開けた彼女の表情は、一瞬にして動揺に崩れる。そして、震える声でアリュームは言った。
「……所長。目が、見えません」
 ありとあらゆる手を尽くし、様々な分野の研究機関を頼った。だが、彼女の状態は悪化を辿っていく一方だった。その頃から、左目の花がほんの少し大きくなり始めていた。変化は止められなかった。
「何かして欲しいことはある?」
 目が見えなくなり、五感の致命的な部分を失ってしまったのだ。日常生活さえ儘ならなくなってきた彼女を、何かしら補助できないかと思っての問いだった。すると、彼女が答えたのは、予想外の内容だった。
「手を、握ってもらえないでしょうか」
 少し驚いてから、彼女の世界は孤独なのだと気が付いた。誰にも理解されない症状の中、ついに他者との繋がりを支える根幹たる一部を失ってしまったのだ。孤独を感じない訳がない。握った手はとてもひんやりとしていた。
「ありがとうございます」
 そう言って笑うと、彼女は深い眠りへと落ちていった。
 翌日、彼女の病室を訪うと、広がっていたのは目を疑う光景だった。ベッドの上にアリュームの姿はなく、代わりに残されていたのは、薄紫の花弁が幾重にも重なった夥しい量の花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花花。
「なに、これ」
 訳が分からず、それだけを絞り出すのが精一杯だった。急いでアリュームの所在を確かめたが、病室を出た記録がないという。そこから導き出されたのは、信じ難い結論だった。
 彼女がいなくなってから数日後、例の記録ノートを借りようと向かった先で見たのは、鉢に植えられた華奢な腕。その指先からは枝葉が芽吹いていて、彼女が行っていたことを理解する。保険として、彼女は挿し木を用意していたのだろう。
「キミは本当に──」
 心の力が起こす奇跡。もしも、作用するような心を持っていたなら、もしくはそのロジックが解明できていたら、結末は少しは変わっていたのだろうか。
「──所長が育てているあの花って何ですか?」
 研究員の一人が問いかける。
「あれはボクの個人研究。あの花に実を付けさせたいんだ」
 花壇には、薄紫色の花畑が広がっていた。