会議は踊る

FE風花雪月ディミレス

「なあ、先生。時間があるならこの後──」
 それはごくありふれた会話である。その中に潜む違和感を、青年は指摘してみることにした。それはずっと隣で成長を見守ってきた兄貴分として、ようやく始まったとも言える彼の恋路を手助けしてやろうという節介心と、初心で堅物な彼が描く恋模様を見てみたいという下世話な好奇心によるものであった。
「あのー、陛下。先生のこと、名前で呼ばないんですか?」
 お二人はいい関係なんでしょう? と問えば、知っていたのかとその目が僅かに瞠られる。それには流石においおいと言いたくなってしまった。知っているも何も、正直なところ好意は筒抜けだったように思う。むしろ周囲はいつくっつくのかと焦れていた程だというのに。知らないのは当人達だけのようである。
 隠すつもりはなかったのだろうが、公にしていない関係性が知られていたことに動じはしないものの驚いたのだろう。鈍いという話ではない。よく今まで先生が誰のものにもならなかったものだと改めて思う。いい女なのだ、我らが先生は。
「こう、正面から見つめてですね。──ベレス」
「何かな」ばきり。
 鈍い音がしたと思えば、その手に握り書類をしたためていたペンが真っ二つにへし折れていた。それは小枝のように割れる代物ではない。瞬間、血の気が引く。
「わー! 陛下!! 例えですってば! 先生も返事しない!」
 こら何が起きたんだろうみたいな驚き透かした顔でこっちを見るな。手の中の残骸を不思議そうな目で見るんじゃない。それはこっちが知りたいくらいだこの馬鹿力め。先生は先生できょとんとした顔をしているし、何なんだお前達は雛か。産まれたばかりの鳥の雛なのか。
 まあ、事実雛のようなものなのだろう。この二人が色事に精通しているとはとても考え難い。そんなことをしている暇などなかったとも言える。力の抜き方も分からぬまま駆け抜けていった激動の日々、それをこれから取り返すのだ。先達として、それを応援してやるのは吝かでない。
「でも、いつまでも『先生』呼びって訳にはいかないでしょう。いい機会じゃないです?」
 ここは二人の関係性を発展させるための刺激を提供しようではないかと提案してみる。向けられる二つの視線に窮した様子で、ぐっと言葉を詰まらせる姿がおかしかった。普段は強い光と共に威風堂々と前を見据えているその視線が、戸惑いを孕ませながら虚空を泳ぐ。
「俺にとって、先生は先生で……しかし……そう、だな」
 歯切れ悪く言いながら、なんてことをしてくれたんだと左目がこちらを脾睨する。実際のところ背中を押したい気持ちが半分、からかいが半分ではあるのだが、仕事はきっちり果たしていると思うので緩む口元のまま鋭い視線を受け流す。
 現にこうして焚き付けてやったことで、先生は期待に満ちた目で見つめているではないか。透き通った瞳はきらきらと輝いており、じっと続きを待っている。こんなものを向けられて、応えない訳にはいかないだろう。
 引き結ばれていた唇が、開かれる。そうして音を紡ぎ出そうとして、中途半端に動いて再び閉ざされる。動揺する様子が如実に現れていて、思わず噴き出さなかったことを褒めて貰いたいくらいだ。
 普段は努めて感情を表に出さないようにしているからか、こうして表情がいくつも変化していく様子は新鮮だった。内に秘めた激情を引き出すことができたのは、アドラステアの皇帝と先生くらいなものだろう。そのことが少し、羨ましい。
「……ベレス」
「うん」
 名前を呼んだ途端、頬がみるみる紅潮していく。これは珍しいものが見られた。
「口にしてみると、思いの外照れ臭いものだな……」
 耐えきれなくなった視線がついと逸らされ、口元を隠すように手で覆う。これは前途多難であると実感するが、こうしてもだもだとしている様子はいじらしく微笑ましかった。ああ、かつて好きな女の子に短剣を贈った少年が、よくぞここまで成長したものである。
「ありがとう、ディミトリ。私は君に呼んで貰えることが嬉しくて──好きだよ」
 そう言って、先生が婉然と微笑む。飾らないその言葉は、無駄がないからこそ心の内側にすっと入り込んでいくのだろう。向けられるのはとても、とても嬉しそうで蕩けるように甘やかな笑顔。それはきっとただ一人に向けられたものだと感じて、さっと視線を逸らす。先生は無防備すぎやしないだろうか。
 砂糖菓子のような空気に当てられつつも、ようやく掴んだ人並みの幸せを享受する姿に青年は笑みを溢す。その隣に居てくれたのが貴女でよかったと。