時計塔に住む天使

FGOベディぐだ

宗教系の女子校に通う生徒と時計塔の管理をしている用務員さんの雰囲気系短文


 時計塔には天使が住んでいる。
 これはまことしやかに囁かれるこの学園に伝わる伝承である。その存在を確かめる術がないのでその真偽は定かではないが、ここに通う生徒であれば一度はその噂を聞いたことがあるだろう。
 神への信仰に厚いこの学園ならば、天使というものが信じられてもそう不思議ではない。それまでその噂をよくある学校の七不思議や怪談といった学園生活に刺激を与えるスパイス程度にしか考えていなかった立香であったが、ある時を境にその噂を信じるようになっていた。
 見たのだ、天使を。
 何気なく見上げた時計塔の窓に、純白の布を被った美しい女性がいた。邂逅は刹那のこと。女性が窓を横切ったその一瞬の間に、立香の心は永遠を繋ぐ呪縛のように囚われてしまったのだ。
 恍惚の中に、甘痒く胸を掻く焦燥があった。もう一度あの天使を見たいと、知りたいと、今までにない熱量で心が訴えかけてきたのだ。それは理屈ではなく、本能的な欲求で、初めて感じたその衝動に立香は盛大に戸惑った。こんな経験は今までにないことだったので、どうすればいいのか分からない。
 まさか、これが恋なのだろうか。それは同性に抱くべきものでない。人類の摂理から外れてしまうからだ。身を焦がす情熱の炎を感じながら、それが熱く勢いを増すごとに、立香の中にある罪の意識もまた比類なきほどに大きくなっていくのであった。
 立香が窓辺の君に気付いたのが偶然であるならば、その変化に気付いたのもまた偶然のことであった。いつもは閉ざされているはずの時計塔の入り口の戸がわずかに開いていたのだ。いけないことだとは分かっていたが、好奇心と自らの欲求に抗えず、立香はその華奢な体躯を戸の内側へと滑り込ませる。初めて入ったその場所は、少し古びた外観に反して美しく整えられている。薄汚れた埃臭い場所を想像していたので、そのことに少し驚きながら奥へと歩を進めていく。
 進めど人の姿はなく、薄暗い内部は少しひんやりとした空気を漂わせていた。螺旋階段を上り、現れた窓から外を眺める。そうだ、自分はここで天使を見付けたのだと感慨に耽っていたその時。
「おや、ここに来客とは珍しいですね」
 かけられた声に立香は飛び上がらんばかりに驚いた。よくよく考えてみれば手入れがされているということは人の手が加わっているということであるのだが、時計塔には天使がいるという先入観に囚われていたためにまさか人がいるとは思っていなかったのだ。弾かれたように振り返った立香の目の前に現れたのは、いつかに見た長く艶やかな髪、翡翠の瞳。ヴェールのようにその頭部を覆う、純白の布。見紛うはずがない。それは立香が焦がれ続けた天使の現出であった。
 一瞬にして、心の全てが奪われる。抗うことなどできようものか。陶然と天使を見つめていた立香の意識は、高らかに鳴り響いた鐘の音に呼び戻される。
「っ! 主よお許しください! 不惑を誓いますお許しください……!」
 己が罪が浮き彫りとなり、告解するが如く祈る立香に、やや戸惑った男の声が降ってくる。
「レディ……? 驚かせてしまったようですね、申し訳ありません」
 少し低い男性の声だった。女生徒しかいないこの学園では、聞き馴染みのない音域の声であったからはっきりと分かる。そこで立香ははたと気付く。
「……男?」
 目の前には不思議そうにこちらを見つめる天使の姿がある。つまるところこの声を発しているのは目の前のこの人物なのだということであり。自身の根幹を揺るがす事態が連続して発生し、立香はうまく回らぬ頭で呆然と目を瞬かせた。
 時計塔に住んでいたのは天使ではなく、三角巾と掃除用具を手に携えた見目麗しい男だったのである。