愛よ目覚めたまえ

FE風花雪月ディミレス

「一緒にお茶会をしよう」
 週に一度の休日、ディミトリを呼び止めたベレスは眉一つ動かさず予定はどうかなと問いかけた。突然の提案に面食らうが、なんでも生徒から茶器を譲り受けたらしく、茶会という文化に触れてみたいのだそうだ。乏しい表情からでも、未知の経験に心躍らせていることはよく分かる。それほどに期待を抱いているのだ。何となく無碍にするのも憚られて、気付けばディミトリは承諾の返答をしていた。
「俺で良ければ、喜んで」
 そうは言ったものの、本当に自分で良いものなのか。ディミトリの胸に遅れて疑問が湧き上がる。己が多弁な方ではなく、むしろ口下手であることはとてもよく自覚している。気の利いた言葉も返せない。極め付けは──茶の味が分からない。良し悪しが理解できないのではなく、味そのものを知覚できないのだ。
 薄闇が落ちていくような後悔が、彼を穏やかに抱き締め僅かばかりの孤独を与えていく。ごく優しく視界を覆い隠して奪い、密やかに心の片隅へ寄り添う。そうして緩やかに他者を隔絶する硬質な殻へと変わっていき、その厚みを増す。
「ありがとう。中庭でいいかな」
 ふと、孤独の闇を薄ぼんやりと照らす仄かな光があった。動かぬ貌の下で、ベレスは表情を輝かせている。ほんのりと感じ取れる程度のごく曖昧な感情の機微は、確かにディミトリを救っていた。自分という存在が彼女を喜ばせることができたのだと、彼自身をごくごく僅かに肯定し、許容する要素の欠片となるのだ。
「ああ。少しやらねばならないことがあるから、片付けたらすぐ向かおう」
 その間に自分は茶会の準備をしておく、とベレスは頷いた。ベレスと別れ、自室へ戻ったディミトリは届いた書状の束を繰る。急ぎ対応が必要なものに返事をしたため、残りを抽斗へと仕舞って鍵をかけた。底板には密かに細工が施してあり、一見して分からないようごく薄く隙間を設けてある。
 処分できない密書の類を保管しておくためのこの場所は、細工を施したドゥドゥーしか知らない。そして、ドゥドゥーすらも仕舞われている文書の内容までは分からない。公務に関係する文書の下には、燻り続けた復讐心が眠っている。
 欠片を繋ぎ合わせて、どうにか人の形を保っているだけの生き物だ。その本質は揺蕩う泥でしかない。それを知られぬよう、硬質な殻で覆っているに過ぎない。書状を梟に預け、訪れた茶の席は和やかで──やはり何の味も分からなかった。



「一緒にお茶会をしよう」
 週末、軍務が一区切り付いた頃。ベレスはディミトリを呼び止めて告げた。急ぎ処理せねばならない政務もないので頷けば、ベレスの顔が花開くように綻んだ。
 思えば、茶会をするなど何年振りだろう。最後に彼女から中庭に連れ出されてから、果たしてどれだけ。ずっと荒んだ日々を送ってきたため話せるようなことは昔以上にないのだが、あの時のような仄暗い後悔はあまり感じない。
「中庭か? 必要な物は俺が運ぼう」
 もてなされるだけでなく自分も手伝おうと告げた言葉に返事はない。じっと見つめるベレスの瞳に、ディミトリの胸は落ち着かなくなってしまう。茶器を壊してしまうのではと懸念されているのであれば、否定できる材料はないが複雑だ。
 何か言いたげなことは分かる。しかし、ベレスが何を考えているのかは豊かになった表情を以てしても捉えることは難しい。元より裏を読む行為は苦手なのだ。
「私の部屋でもいいかな。君とはゆっくり話がしたい」
 齎されたのは予想外の答え。言葉の意図が読み取れず困惑する。意図などないも分かっていながらも、意味を求めてしまう。気付けばディミトリは頷いていた。
 花蜜に誘われた羽虫のようだ。いくつも並んだ焼き菓子と淹れたての茶、そしてどことなく漂う仄甘く安らぐ匂いに包まれながら卓に着く己が身を思う。
「部屋には皆来たことがあるし、気楽にしてくれていいよ」
 こぽこぽと自分の杯に茶を注ぎながらベレスが笑う。自分が訪ったのは初めてだというのに、皆この空間を知っているのだという。それは断絶していた交流の爪痕に他ならないのだが──面白くないという身勝手な思いがディミトリを苛む。
「先生は女性なのだから、あまり男と二人きりになるのは良くないと思うが……」
 どの口が言う、とはディミトリ自身が痛感していた。尤もらしい大義を掲げながら、本質は己が恣意を貫きたいだけである。実に浅ましく、恥ずべき行為だ。
「──どうして?」
 蜂蜜のように甘く湿度を孕んだ声音が愉しげに問いかける。好奇心に爛々とした、子猫のような瞳がじっとディミトリを覗き込んでいた。この女は知っている。知っていながらこの口からみっともない本音を引き出したくて問うているのだ。熟れた果実の唇が、ゆっくりと弧を描く。意地が悪いと思いつつも、憎めない。
 分かるだろうと告げれば、君の口から聞きたいんだとベレスは艶然と笑った。