赤い蝶

FE風花雪月ディミレス

※爪剥ぎとかしてる


「皇帝陛下が戦死されました!」
 前線で戦うベレスの下に飛び込んで来たのは信じ難い報であった。後詰めとしてやって来たセイロス騎士団によって挟撃される形となり、動きを完全に封じられてしまったらしい。もっと早く事態を察知できていれば駆け付けることができたのだが、恐らくはこの雨でどこも情報の伝達が遅れているのだろう。
 真偽の程は定かではない、だが手を打たねば手遅れになる。ベレスはその瞳に映る世界を、その結末を破却する。神の権能を行使し、時を遡るためまずは流れを止めようとして──その意識は、突如として襲い掛かった衝撃と共に途絶えた。



 気怠さを覚えながら、浮上する意識に目を開ける。薄暗く陰湿で、黴臭い石壁に囲まれたその場所は、空気の流れが全く感じられない。どうやらここは地下牢であるらしいと当たりを付け、自らの状況を確認する。
 愛剣は勿論のこと、所持していた武器や防具は全てなくなっていた。女神の力を行使してみたが、神たる目が知らぬ事象を遡ることなどできるはずがなかった。
「目覚めたか、外道」
 低く、熱の感じられない声。だが、記憶に馴染む声だった。その先にあるのは、じっとこちらを脾睨する二つの目。底の知れない海のようなその奥では、澱のように堆積したものがどろりと蠢いている。
「どうして、あんな畜生の行いに加担した」
「エーデルガルトには、エーデルガルトの思想があった」
 ふざけるなという怒声と共に、爪の間に刃が差し込まれる。これから何が起きるのかを理解させてから、硬い声は再び同じ問いを口にした。
「人の世を作るために、犠牲を払ってでも起つことを彼女は選んだんだ」
 指から剥がれた爪が、軽やかに宙を舞っていった。鈍く、それでいて鋭い痛みが遅れてやって来て、一瞬視界が白む。耐え難い苦痛に、殺し切れなかった悲鳴が喉から漏れた。その双眸に湛えられているものは怒気を通り越して殺気に近い。
「一方的な蹂躙をしておきながら何が人の世だ。畜生は語る言葉も持たないか」
 彼女のやり方は誰にも理解されないのだろう。エーデルガルトが今起たねばならない理由は彼女しか知らず、彼女が死ねば葬られる事実だ。そうして、フレスベルグに受け継がれて来た歴史は途絶え、全ては闇の中である。だからこそ、彼女は犠牲を天秤にかけて苦悩の末に選んだのだと思い知らされる。
「お前は、どうして……どうして……!」
 続く言葉はない。絞り出すような、咽ぶような声が形を成さぬ問いかけをする。
「私が、選んだからだよ」
 この道は、自分が選んだ道だ。全ての行いは選択の上にある。だからこそ、その問いへの答えは明確であった。真っ直ぐに、その目を見てはっきりと告げる。すると、激しい情念に燃えていた彼の目に、怯えのような弱々しい色が差していくのが分かった。どうして、と驚く間にそれは消え、再び業火が燃え上がる。
「ああ、そうか……そうか……」
 くつくつと喉を震わせながら、確かめるようにディミトリは繰り返した。ゆっくりと瞑目し、再び開かれたその毗が屹と吊り上がる。
「やはり、畜生と話をしようとしたのが間違いだったらしいな」
 昏い色を孕んだ目が、間近にこちらを伺っていた。ベレスは不穏な空気がより一層濃くなっていくのを肌で感じる。
「獣らしく、ここで死ぬまで飼い殺してやろうか……ああ、そうだ。お前に子を孕ませて王子として据えてやろうか。教え子達はどう思うだろうな──先生?」
 悪夢のような内容であった。それを口にすることで、ディミトリはベレスの全てを自分が握っていることを理解させるのだ。
「王国領、帝国領、同盟領、教会。四人男児を産んで貰わなくてはな? 紋章とは便利だよな、先生。この部屋は王族が身を隠すための部屋で、この血に宿る紋章がなければ開かない。俺しか、入れないんだ」
 きっとそれはベレスを辱め、恐れさせるための言葉なのだろう。だが、ベレスにはどうにもそれだけの意味とは思えなかったのだ。その疑問は口を突いて出る。
「どうして君は、自分を傷付けようとするのかな」
 彼の目に、あの色が差す。傷付けていながら傷付いた目をしている。ゆるりと伸びた両手が、縋り付くように首を締めた。喉奥で潰れ、掠れた声が吐き捨てる。
「黙れ、お前に何が分かる……!」
 息苦しさに意識が遠のきかけた頃に手が離され、咳込む首に鮮明な痣が残る。
 箱庭の行く末は、まだ誰も知らない。