美しき獣

FGOベディぐだ

 朝の訪れに、立香は目を覚ました。
 決して寝心地が良いとは言えない硬い地面から身を起こし、寝惚け眼で周囲を見遣る。薄暗い洞穴を照らしていた焚き火はすっかりと燃え尽き、その役目を終えていた。
 いつの間にか掛けられていた外套が体から滑り落ちる。ひらりと舞ったそれを持ち上げて両手に広げてみると、白い布地の海の上には一点の染みもない。その光景に、昨夜見たものは夢だったのだろうかと考えてしまう。この外套が、真っ赤に染まっていた様を。そして、赤く染まったその経緯を。



 そろそろ野営地を決めようと、雨風を凌げる場所がないか探していた時のことだった。遠くを見渡すことができないかと、大きく張り出した木の根に立香が足をかけたその瞬間。ぐにゃりと微かに根がひしゃげ、立香の足が沈み込む。どうやら腐っていたようだと思い至り、転ばぬよう足を退けたその時──
 立香は耳を裂くような咆哮を聞いた。
 さっと血の気が引く。もしも自分の推測が正しいのであれば、先程暗がりの中で踏み付けたものは木の根ではなく、巨獣の尾なのではないだろうか。
 まずい、と咄嗟に茂みの影に身を隠した。見付かってしまえばひとたまりもない。息を殺し、様子を伺う。
「マスター!?」
 咆哮を聞き付けたベディヴィエールが何事かと姿を表す。すっかりと固まり、必死に気配を殺す立香に、彼は状況を察したようであった。
 ひとまずこの状況から離脱しようと、ベディヴィエールが密やかに立香を手引きする。頷き、ゆっくりと音を立てぬように体を動かしたその時であった。
 ばきり。
 嫌な音が己の足元から発されたのを聞いて、立香は眩暈を覚えた。気付いてくれるなと背後を振り返るのと、巨体が身を動かし盛大に地面が揺れたのは時を同じくしてのことであった。
 明らかにこちらを捕捉している。木々を揺らしながら現れたのは、己の体躯の何倍もの大きさの竜であった。その巨体は立香を一飲みしてしまえるほどである。
 悲鳴は出なかった。ただ、頭の中で本能がけたたましく警鐘を鳴らしていた。逃げなくてはと思うが足が竦む。それに、逃げ場などどこにあるというのか。
「お任せを」
 緊張を宥めるように、落ち着いた声音が降ってくる。立香の前に進み出た騎士は、すらりとした長剣を鞘から抜き放つ。いつも穏やかな優しい光を湛えているその双眸は、屹と正面に立つ対象を捉えていた。そこには一分の隙もなく、ひりつくような緊張を孕んでおり、立香は我知らず生唾を飲み込んでいた。
 ベディヴィエールが足を踏み込み、微かに地が抉れたその瞬間、疾風の如き速さで彼は飛び出していた。慌てて立香は己が手に宿った令呪を通じてありったけの魔力を送り込む。
 腱を裂き、自由を奪うと、激しい咆哮が周囲を震わす。思わず立香が耳を塞いその間にも、飛び立とうと羽ばたかせた翼を鋭い一閃が断ち落としていた。更に巨体の上を素早く駆け上ると、ベディヴィエールはその太い頸に喰らい付くかのように剣を立て、力強く凪いだ。硬い鱗に覆われた体表に赤く瑞々しい裂傷が生まれていく様を、立香はじっと見つめていた。
 竜が力を無くして大きな体をどうと横たえるのと、真っ赤な鮮血が勢い良く噴き出すのは同時のことであった。
 戻ってきたベディヴィエールは、自身の外套を引き上げて立香の頭上を覆う。すると、やや遅れて血の雨が降り注ぎ、ざあざあと滴が弾ける音が耳を打つ。降り注ぐ真っ赤な血に全身を染めながら、男は荒い呼吸を繰り返して敵を見据えていた。その視線の鋭さに、立香はふるりと身を震わす。
 雨が止んだのを見計らって、ベディヴィエールは外套を下げる。その頃にはいつもの穏やかな空気を纏った彼がいて、立香の頭はくらくらとしてしまう。
「おや、洞穴があるようですね。竜の寝ぐらだったのでしょうか」
 今日はあそこで夜を明かしましょうかという言に頷き、立香はどこか落ち着かない気持ちで暗い岩肌に体を横たえたのであった。



 気が昂っていても眠ってしまえる太い神経に呆れるが、生きるためには必要なことだと思うことにする。よく眠ったからか、魔力はすっかりと回復していた。
「おはようございます、マスター。よく眠れましたか?」
 洞穴の入り口から、ベディヴィエールが姿を表す。食料の調達を行っていたのだろう、その手には様々な野草が抱えられている。朝日を背にして爽やかに笑うその姿に、立香の胸は微かにざわめく。──昨日の彼は、獣のようであったと。