とろけるような平穏を

FGOベディぐだ

「うーん……やっぱりこたつは最高だなぁ」
 呟きながら、立香は机の上に頬を乗せる。日本人である立香のためにと正月に合わせて自室に改装が施されたのである。硬い石床は畳張りの和室へと張り替えられ、しめ縄飾りに門松といった古典的な日本の風物詩が並び、煌びやかに装飾されている。日本の冬を象徴する最たるものと言えば、部屋の真ん中に置かれたこたつであるだろう。
 日本人の魂の帰る場所はここであるのだとばかりに、ぬくぬくとした温もりは立香を抱き締めて離さない。自分のためにこんなにも資源を割いて貰うことは少し気が引けてしまうのだが、ダ・ヴィンチや職員達が達成感溢れる顔で自室の改装を報告してきた様を思うと、気後れせず受け取るのが一番良いような気がしたため、立香はこの甘美で怠惰な時間を喜んで享受していた。
「マスター、それは些か行儀が悪いかと」
 降ってくる声に立香は顔を上げた。自室の装いに合わせて、和服を纏ったベディヴィエールの姿があった。手には漆で塗られた盆があり、その上には椀が乗っている。盆を脇に置き、布巾で台を拭くと、ベディヴィエールは机の上に盆を乗せた。
 盆には椀と箸置き、そして持ち手の部分に小花柄があしらわれた箸が行儀正しく並んでいる。椀を軽く押し、乗っている蓋をぱかりと開けると、中からは白い湯気を立てるすまし汁が現れた。芳しい香りが立ち上り、立香の口内に唾が溢れる。
「いただきます!」
 手を合わせて、立香は椀に口を付ける。丁寧に取られた出汁の香りが鼻を抜け、上品な味わいが舌の上にゆっくりと広がっていく。今年も台所の番人は良い仕事をする。元日ではあっという間に消え去ってしまったおせち料理を思い出し、立香は口元を綻ばせた。少し歯ごたえを残した白菜と、柔らかく伸びる餅の食感の違いが実に楽しい。人参は飾り切りを施され、白い餅の色との鮮やかなコントラストが目を喜ばせる。
 ベディヴィエール立香の側面に腰を下ろすと、温かなこたつの中に足を差し入れる。そうして幸せそうな面持ちで雑煮を食べ進める少女を、男は穏やかな微笑みを以て見つめていた。まるでそれこそが自分の喜びであるとでもいうかのように、温かな視線が立香を見守っている。
 正月になるたびに訪れる、この底抜けに平和で和やかな空気が立香は好きだった。毎年こうとはいかないが、何事もなく平穏に流れる時間をただ享受する、そのことがどれほど貴いものであるかを立香は身を以て知っていた。
 熱い茶が淹れられ、立香の前に置かれる。礼を告げ、二人揃って茶を啜った。馥郁たる香りと、ほんのりとした渋みが心地良い。熱い茶が喉を通って腹に落ちていく感覚に、立香はほっと息を吐き出した。日本に生まれて良かったと思う瞬間である。
 そこにもう一つが加われば完璧なのだと、机の中央に置かれた籠に手を伸ばすもあと少しのところで届かない。立ち上がれば手が届くのだが、怠惰な自分がそれを拒んでしまう。
 すると、目の前で銀の腕が籠の中へと伸ばされる。銀の腕が籠の中から橙色のみかんを一つ掴み取り、実を割ると手早く皮を剥いていく。皮の内側から現れた果肉の房を一つずつ分けていくと、ベディヴィエールはその中の一つをつまみ上げた。
「どうぞ」
 口元に差し出された果肉。まるで餌付けされているようだと思うが事実そうなのだろう。優しく目を細めながらこちらを見つめる男の視線に、立香は気恥ずかしさを覚えつつも口を開いた。ぱくりと果肉を口に含めば、丸い瞳がぽっと瞠られる。その様子に、ベディヴィエールは笑みを深くした。
 甘酸っぱい果汁が口の中で弾けていく感覚が実に堪らない。やはり冬はこたつでみかんを嗜むのが最高の贅沢だ。次々と差し出される果肉を、立香は美味しそうに頬張っていく。もう一つ食べるかの問いに首を振ると、立香はもぞりとこたつの中に身を潜らせた。
 こたつに潜りながら横になることは体に良くないと聞いてはいたが、この魔力には抗えそうにない。身体が溶けそうなほどの怠惰が、実に背徳的でたまらないと思う。ぽかぽかと齎されるこたつの熱が、立香を午睡へと誘っていく。
 やがて寝息を立て始めた少女の蜜柑色の柔らかな髪を、男の手がひどく優しい手つきで梳く。その眠りが穏やかなものであるよう願うように。たおやかに広がる髪が、指の間をさらさらと滑っていく。眠るあどけないその容貌を、熱の籠った瞳が愛おしげに見つめていた。
 いつか、この平穏な時間こそが当たり前の日常になるようにと。