てぶくろをかいに

FGOベディぐだ

「手袋をなくしました!」
 語気強くそう言いながら右手を突き出し、立香は真剣な目でこちらを見上げていた。それは手袋をなくしてしまったことへの気付きというよりも、手袋をなくしたことを報告するかのような口振りであった。一体どうしたことかとベディヴィエールは戸惑ってしまう。
 今回は寒冷地へのレイシフトであり、外気は随分と冷え込んでいる。礼装で補助されているとはいえ、剥き出しの素肌では冷たかろう。さていかにすべきか。
 手袋を買いに──と思ったが、使用できる通貨など立香もベディヴィエールも持ってはいない。全くの無一文である。そう考えると今までこの心許ない状況でよく旅ができたものだというものだが、生きるために必要な食料は狩ってきたし、宿がなくとも野営を重ねてきた。
 文明とは財産だ。それ故人は対価を支払う。文明に触れる資格を持たない我々は、やはり異郷の者であるのだと改めて実感させられる。
 他者と交流し、文化と触れ合う。そうして金銭や物品、あるいは芸術という彼らの持つ文明に触れた時、私達はこの地に根差すものの一部になるのだろう。
 さて、この小さく白い手をいかに寒風から遠ざけたものか。或いは、冷たさを紛らすような温かなものでもあればよいのだが。
 火を起こすにはまだ早い。昇る日はまだ燦然と頭上を照っている。魔術の心得があるならば、あの胡散臭い宮廷魔術師のようにどうとでもできてしまうのだろう。しかし、この身は剣を握って生きてきた。宿す魔力はあれど、それを行使する術を知らない。
 そこでふと、自身の左手が目に入る。あるではないか。そこにあるだけで温もりを発し続けているものが。そうしてよいものなのだろうかという躊躇いが生じるが、何よりも今はこの冷えた手を温めるのが先決であるだろう。
「ではマスター、少し失礼しますね」
 小さな手を、己が手で包み込む。その冷たさに少し驚いたものの、やがて冷ややかな感触は少しずつ自身の体温と溶け合い、温もりを取り戻していく。
 握り込んだ手のひらは、白く柔らかい。剣を──殺しを知らぬ手だ。自分の手とは比べるべくもない。
 そうする必要のない時代に生まれたのだ。そんな時代が自らの生きた先に実現したのだ。そのはずであるのに、彼女は戦い続けている。我々が背負ってきたものより遥か大きいものをその小さな体に背負って。
 その手は殺しを知らないが、戦うことのできない歯痒さを知っていた。無力な自分の悔しさを知っていた。そうしてそれらを飲み込み、朗らかに笑っていた。それは、彼女だけが持ち得た強さである。
 隣に立つ立香を見遣る。彼女はその無垢な顔を綻ばせながら、どこかそわそわと落ち着かない様子でこちらを見つめていた。
「ベディの手は温かいね」
 そう言ってはにかむ立香に、ふと思う。死人が魔力によって形作られただけの我々に、生者と同じような血潮が通っているのは何故なのか。生きてなどいないこの体が、温もりを持っているのはどうしてなのか。常々感じ続けてきた疑問のその答えは、とても身近な場所にあったのかもしれないと。
 あなたは一人ではない。
 それを伝えるために、我が体は紛い物の温もりを持たされたのだろう。一人では寒くて身が竦む道行きも、誰かが隣いることで心を奮わすことができるのだ。
「それは光栄です」
 この身にもまだできることがある。そのことを嬉しく思う。まだ、私にできることはあるだろうか。他ならぬ、貴女のために。
 視線の先で、立香はごそごそと自身の礼装のポケットを探っていた。何やらダ・ヴィンチに待たされたものがあるのだという。引っかかってしまっているのか、どうにも取り出すのに手間取っているらしい。手を離せばいいことは分かっていたが、あえてその提案はしなかった。
「あった!」
 軽快に弾んだ声音と共に、立香の手がポケットから引き抜かれる。そこにあったものは、『寒冷地用カイロダ・ヴィンチ二式』と書かれた包みと、先刻なくしたと言っていた手袋の片割れである。瞬間、立香の顔がさっと色を変えていく。
「えっと、これはその……」
 狼狽する姿に、自然と笑みが零れていた。この手でよければいつでも繋ぐというのに。折角なのでこのままでいましょうかと告げれば、立香は表情を輝かせて頷く。その頬が赤く色付いていく様を、ベディヴィエールはじっと見つめていた。