真昼の月を見るような

FGOベディぐだ

立香さんは旅を終えた後人の形を保ってカルデアの外に出られると思っていないので、人のまま外に出るなら全部忘れて「ただの人」になっていると思っているという話


「──リツカ……リツカ……」
 呼びかける声に立香の意識はゆらゆらと夢現の狭間を漂う。ああ、懐かしい声だと思った。瞼を開けると、こちらを覗き込む男の姿。眠ってしまっていたのかと後から気付く。
「おはよう、ベディヴィエール」
 寝ぼけ眼の挨拶に、ベディヴィエールは笑みを以て応えた。ここはどこだろうと考えて、がたりごとりと揺れる感覚と立ち並ぶ長椅子の群れに、列車の中であると当たりを付ける。正解を告げるように、軽快な汽笛の音が聞こえた。
 列車の中はほとんど満席だった。あちらこちらで人々がひしめき合っており、和やかな雑談の声が聞こえてくる。その中をすり抜けるように、車内販売のワゴンが悠然と進んでいく。丁度お腹が空いていたところだと、立香は手を挙げてワゴンを呼び止めた。
 見せて貰ったメニューの中には様々な種類の弁当が並んでいて、実に悩ましい。どうしたものかと決めていると、すっと伸びてきた指がメニューの一部を指す。『温かくなります』そう書かれていた。
 幾つになってもこういう物に心惹かれる性分らしい。迷うことなく先程の弁当を選ぶと、その様子をベディヴィエールが微笑ましく見守っており少し照れ臭い。
 手渡された弁当をしげしげと眺めれば、にょろりと一本の紐が伸びているのが目に入った。これを引いてしばらく待つことで弁当が温まるらしい。世の中には凄い技術が溢れているものだと思いながら紐を引く。俄に列車が減速し始め、まるでブレーキを引いたかのようなタイミングに立香は少し戸惑ってしまった。
 速度を落とした列車はやがて駅のホームに停車する。すると、列車を埋め尽くしていた人の群れがぞろぞろと降りていき、車内には少しばかりの空白が生まれる。手を振る人々は列車が走り出すとあっという間に見えなくなる。そのことを、ほんの少し寂しいと思った。
 気を取り直して弁当の蓋を開ければ、食欲をそそる香りが辺りに漂う。手にした器は仄かに熱を帯びており、本当に温かくなるものなのだとうっかり感動を覚えてしまった。口に運んだ白米は、丁度良い温度に保たれている。
 弁当を食べ進める間に一度、食べ終えた頃にもう一度。列車は駅に停車し、続々と乗客を吐き出していく。賑わっていた車内は、少しずつ静寂に満ちていった。
 食後の心地良い気怠さに身を委ねながら、次々と移ろいゆく景色を眺める。木々の間を潜り抜けて、現れたのは大きな湖であった。湖面は透き通っていながら、その奥は見通せない。ともすれば吸い込まれてしまいそうな不思議な美しさがそこにあった。綺麗だねと見遣れば、ベディヴィエールはそうですねと頷く。そうして列車は緩やかに速度を下げ、またもやぞろぞろと人々が降りて行った。
 そういえば、立香はこの列車がどこに行くのかを知らない。列車に乗っているということは目的地があるはずなのだが、立香はそれを全く思い出せなかった。
「そういえば、私達はどこで降りるんだっけ?」
 問いかければ、お忘れですか? という一言が返ってくる。何か大切なことを忘れているような気がしてきて、立香はぐっと言葉を詰まらせた。
「いずれ分かりますよ」
 そんな立香に笑みを零すと、ベディヴィエールはただそれだけを告げた。いつの間にか、車内は立香とベディヴィエールの二人だけになっていた。
 がたりごとりと列車は揺れる。ただ二人見つめ合う何でもない時間を楽しんだ。
 今までと同じように列車が停車するが、降りる人影はない。このまま発車を待つばかりであるかと考えていると、不意にベディヴィエールが立ち上がった。どうやらここが降車駅であったらしい。彼らしくない失態だと思い、下車が間に合ったことに安堵しながら彼に続いて出口に向かう。
 何故か置いて行かれそうな不安に駆られて前を行く手を掴めば、驚かせてしまったらしくベディヴィエールはちらりとこちらを一瞥してから再び歩き出した。早くしないと降り損ねてしまう。焦燥に足を早めれば、ベディヴィエールが突然立ち止まり、立香はその背に顔をぶつけてしまった。どうにもおかしな行動に首を捻りながら、どうかしたのかと問えば、ベディヴィエールが振り返る。
「私は、この先には行けないのです」
 そう言って、彼は繋いでいた手を離した。直後、閉まった扉が二人を分かつ。訳が分からぬまま困惑する立香を乗せて、再び列車が走り出す。手を振るその姿は遠ざかり、あっという間に見えなくなった。そうして列車は終着へと至るのだ。
 ──目を開ける。夢を見ていた気がする。思い出さねばならないという焦燥が胸を描くが、それは飛び込んできた駅名に掻き消された。慌てて立香は下車すると、この春から通い始めた学び舎へと至る道のりを勢い良く走り出すのであった。