胡蝶

その他ルクス・ペイン

エンディング後、アツキを探すルイと仲間の短い話


 山瀬ルイは微睡んでいた。
 本日の占い稼業はそこそこに締め切り、Y市のデパートで化粧品を買った帰りである。張りのある健康的な腿の上には、ショップのロゴが入った落ち着いたデザインの紙袋が鎮座していた。
 断続的に齎される微かな振動は、まるで揺り籠のようだ。深く沈み込む座席のシートに受け止められながら揺られていると、程よく疲労を溜め込んだ体は眠気を訴え始める。揺り籠に乗せられていた時の記憶など当然ルイには残っていないが、赤子が穏やかに眠る気持ちが少し分かる気がする。
 窓から差し込む夕日が、整った容貌を照らしていた。長く濃い睫の影が、滑らかな頬に落ちる。黒曜の双眸は、黄昏に染まった懐古の海を見つめていた。
 如月学園を卒業し、皆は各々の目標に向かって進み始めた。進学する者、就職する者。大きな転機を経て、これまで一つだった道は分岐し、誰一人として同じ進路を歩まなかった。寂しさがないと言えば嘘になるが、仲間の門出は喜ばしいことである。それに、如月学園にいた頃ほどではないが、皆で集まって話したりする機会はそれなりにあるので、交流は絶えず続いている。
 正直に言うと、少し焦りがある。皆は確固とした目標を持ち、邁進しているというのに、自分にはそれがない。それは如月学園にいた頃から抱えていた思いであり、その答えは具体的にはまだ見えていない。その不安を、たった一人にだけ打ち明けたことがある。その時の彼の言葉に、ほんの少しの光を見た。今はただ、その一筋の光明に向かって進んでいるだけなのだが、いつか自分も答えを見付けられるのだろうか。
 考えても詮無きことである。自分にできるのは、立ち止まらずに進むことだけだ。ルイはそう結論付けると、聞き慣れた駅名のアナウンスに席を立った。
 人々が行き交うホームを歩き、階段を通って反対側へ。カルト教団が起こした事件がきっかけではあるが、如月市はその風光明媚な景観と、著名人が何人も身を置いていることで世間の注目を受けるようになった。それほど顕著ではないが、街の人の数は以前よりも少し増えたように思う。改札を抜けて、帰途につこうとしたルイは、ふとそこに見覚えのある人物を見た。
 さらさらとした鈍色の髪。端正な顔立ち。心の全てを見透かすような、理知的な目。どこまでも深く、吸い込まれてしまいそうな夜色。それでも恐ろしさは感じさせない、美しい瞳。強い意志を灯した、優しい瞳。優しい人。気付けば傍にいて、気付かぬうちに消えた貴方。残された、抜けるように青く遠い空。私はお礼すら言えないまま。
「──西条君!!」
 咄嗟にその名前を呼び、振り返るも、行き過ぎる人の群れにその姿は見付からない。絶望にも似た衝撃が、ルイの胸を稲妻のように焦がしていった。その熱に促されるがまま、ルイは走る。
「西条君!」
 声は電車の到着を告げるベルに掻き消された。閉じた改札がルイを阻む。
「すみませんちょっと忘れ物したんです!」
 何事かとやって来た駅員に紙袋を押し付けて、ルイは改札を乗り越えた。人波の中にその姿を探すが、見付からない。ルイが走る間にも、人々はぞろぞろと電車へ吸い込まれていく。焦燥感が渦巻いて、瞳に涙の幕が張っていくのが分かる。
「西条君!!」
 叫ぶルイの目の前でドアが閉まり、電車はゆっくりと走り出していった。ホームに残された数人が、ひどく驚いた様子で奇異の目をルイに向けている。その中に求めた姿は、なかった。
 茜色に染まる景色が、まるで終末の炎のように思えた。声を掻き消していた喧騒は止み、今はすっかりと静まり返っている。呆然と佇むルイの元へ先程の駅員がやって来て、紙袋を手渡してきた。行為を咎められて素直に頭を下げ、改札を通らせてもらう。その間にも、ルイは自問を続けていた。
 自分が見たものは、白昼夢、もしくは他人の空似だったのではないかと。この街を去った彼が、再びやって来ることなどもうないと、一番よく知っているのは自分ではなかったのかと。考えるほどに、どんどん気持ちが重く沈んでいく。先程見た光景の衝撃が鮮烈であればあるほど、ルイの心に落ちる影もいっとう暗くなっていくのだ。あの日感じた様々な思いが、ルイの胸に去来する。まただ、また自分は、彼に会うことができないまま終わってしまった。
 目頭が熱くなる。悲しみや寂しさというよりも、その気持ちは悔しさだった。
「──ルイ!」
 駅前で立ち尽くしていたルイは、自分を呼ぶ声にのろのろと顔を上げた。野崎ミカが、こちらに向かって大きく手を振っている。よく見れば、他の面々も揃って必死に息を切らしながら走ってくるのが見える。一体何事だろうかと思っている間に、彼らはルイの元へとやって来て、荒い呼吸を繰り返しながら肩を大きく喘がせていた。一体どうしたのかと問う前に、彼らは勢い良く口を開いた。
「西条、見なかったか!?」
 滲む涙と共に、山瀬ルイの胸の奥に熱いものが迸る。私が見たものは、決して幻ではなかったのだと。