baby maybe cry

メルクストーリア

雪の国3rdのトラストの短いはなし
もしも君が泣いていたなら、愛を以て抱き締めよう。もしも君が間違えた時は。


 日の落ちた雪原は真昼の眩さからは打って変わって、薄闇のベールに包まれている。火打石の擦れる音と共に灯された小さな灯りは、蝋燭のように煌々と揺らめいていた。夜風に煽られるそれが消えぬよう、大きな掌で覆いながら、男は咥えた煙草の先に火を点けた。ジジ、と微かな音を立てながら外装を焦がし、やがて火は詰められた葉の芯まで届いていく。立ち上った白い煙を見届けて、男は手早く灯を消した。
 灯りが消えた中、男が手にした煙草の灯だけが、寒気凛冽たる空の下で静かに燃えている。赤々と燻るその煙で胸を満たし、吐き出す。ゆらりと漂いやがて消えていく紫煙を眺めながら、男は思惟する。果たして、あの男に覚悟があるのかを。
 外気がちくちくと肌を刺していた。風は凪ぎ、雪もない穏やかな夜であったが、宵闇は体の芯まで凍て付くような寒さを纏っている。特製の隊服は薄手でありながら高い防寒性を有しているが、夜はそれでも冷えを感じるほどだ。再び煙草を咥えて喫すると、冷えた胸を暖めるかのように煙が内へと広がっていく。男の胸の奥は氷のように冷え切っていながらも、篝火のように煌々と燃えていた。
 己が内の嫉妬に負けてその手を離したというのに、その男は同じ手で娘を欲しがった。
 家族として共に在った時から、彼の心の内は手に取るように分かっていた。娘を追う恍惚とした視線は、やがて昏く卑屈に澱んでいく。それでも娘を想う気持ちを抑えられず、かといって彼女と並び立つ自分に自信が持てず、そうしてその男が取った行動は逃避であった。隊を離れ、娘から逃げ、臆病な自分から目を逸らした。彼が隊を離脱したと知った時の娘の表情を、その男は知らない。
 それで諦められたのなら良かっただろう。分相応ではないのだと完全に身を引いていたのなら、何も言うことはなかった。だが、再び娘と邂逅したその男は、娘が欲しいと手を伸ばしたのだ。それは何と愚かで、傲慢で、腹立たしいことであろうか。己すら見えぬ目で何が見える。自ら離したその手で何が守れる。その曖昧で虚ろな精神で何を誓える。何を以て娘を幸せにできると思えるのだと、その軽薄さに呆れすらした。息子として愛したからこそ。
「……お仕置きが必要みたいだね」
 ジリ、と先端が燃え、焦げていく。胸を満たしていたものを吐き出して、男は呟いた。灯していた火を消すと、男を包む闇は一層濃くなり、瞑目すれば映る景色は何もない。開かれた双眸は、冷然とした鉄槌者のものである。
 父がその眼裏に描いたものは、紫煙と共に人知れず霧散していった。